芦田愛菜(あしだ まな)が天才子役といわれる理由――メディアディバイドの弊害について
あんな感情表現が豊かな子など、日本にはめったにいません。
少なくとも逆のタイプ、つまりは「僕と彼女と彼女の生きる道」(CX)で草なぎ剛の娘役をやった美山加恋や、「ポニョ」の大橋のぞみといった、どこか不貞腐れたいかにも日本人らしいタイプの女の子と並べて、セットにして論じられるべきものです。
それが芦田のほうだけ持てはやされるというのは、どうにもバランスが悪い。
日本人はいつから欧米人のようになってしまったのでしょう。
その原因を探ってみると、どうやらメディアディバイドが関係していそうです。
メディアディバイドというのは、生活スタイルによって頼るメディアが分かれてしまうことをいいます。
例えば、テレビとネットの分裂です。
テレビの世界は明石家さんまが天下を獲っており、お笑い芸人が支配していることから分かるように、感情表現が豊かなひとたちばかりが出演しています。
むろん、すこし外へ目を向ければちがうことぐらい分かるのですが、時代は一人暮らし世帯がほかの世帯を超えてしまい、そのことに気づきにくくなっています。
あるいは、こういうこともあるでしょう。
「テレビしか見ない人たち」は、そういう欧米スタイルの感情表現が当たり前だと思っていて、「そうでない人たち=ネット派」よりはテンションが高くなっています。
たとえ「朝から晩までテレビばかり見てる」のでなかったとしても、「テレビ派のひとたちの世界」のことだけ見ていたら、やはり「芦田のようなタイプがスタンダードだ」と思ってしまいます。
だから「芦田=テレビ的で非オタク的な感情表現」「美山=ネット的でオタク的な感情表現」といえ、世論を形成しているのはテレビですから、美山ではなく芦田が天才呼ばわりされるというわけです。
このことは日本人が「演技」というものを正しく捉えられていないということを示しています。
また女優ということでいえば映画ですが、日本映画のナンバーワンが「千と千尋の神隠し」であり、このヒロインの千尋が、監督いわく「ぶちゃむくれ(不貞腐れたタイプ)」であるというのは、だから批評的です。
思えば、日本では「メールだと素直に感情を表せる」という考えが一般的ですが、これは「いつわりの欧米スタイル」なわけです。
いかに「芦田的な感情表現」が増えたように見えても、それは錯覚に過ぎない。
「千と千尋」の存在は、「アニメのほうが実写よりも現実を映している」ということを示していて、同様のものは、「実写/アニメ」というメディアディバイドの存在まで示しています。