萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

KARAの分裂問題について

 朝起きてテレビをつけたら驚きました。

 4人KARA「辞める」…人格冒とく苦痛
 http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110120-726632.html
 (一般的な報道)
 演芸協「KARAの背後人物がいるなら探し出す」
 http://news.livedoor.com/article/detail/5281132/
 (韓国の芸能裏事情的な内容)
 KARA契約解除騒動で、リーダーのギュリは蚊帳の外だったの巻
 http://goodboy22ch.blog69.fc2.com/blog-entry-363.html
 (2ちゃんねらーの反応)

 詳しくはこのあたりを読んで欲しいのですが、簡単にいうと、「5人のメンバーが事務所との契約トラブルによって3:2に分裂しそうだ。今後の活動に支障が出るかもしれない」ということです。

 以下は、筆者なりに思ったこと、そして推測したことを書いてみました。

まず状況を分析的に把握する

 筆者が気になったのは以下の5点です。

 a)ギュリがノータッチだったこと
 b)ハラが途中で要求を撤回したこと
 c)グループが二分されたこと
 d)育成費用の回収の問題があること
 e)メンバーの同意が得られない契約があったこと

これらは3つの観点から論じることができます。

 1)心理的な問題として
 2)経済的な問題として
 3)社会契約的な問題として

 簡単に言えば、これらについての捉え方が「事務所サイドとKARAサイドではズレていた」と思われるのです。

 これは複雑な問題ですから、どこから手を付けるかを慎重に決めなくてはなりません。

 ここでは 3)「社会契約的な問題」を選びます。

 なぜなら「心理的な問題」がなければ「経済的な問題(ギャラが安すぎるetc)」は発生しませんし、「経済」は「社会の一部」だからで、いわば「外堀から埋めていこう」というわけです。

事務所とメンバーが確認すべきだったこと

 手始めに、上の5点を下の3点に振り分けてみましょう。

 1)心理的な問題・・・・・・・a)b)c)メンバーの対応のちがい
 2)経済的な問題・・・・・・・d)育成費用
 3)社会契約的な問題・・・e)同意の有無

 すでに言ったとおり、ここでは「3)社会契約的な問題=同意がなかったこと」を見ていくわけですが、では「同意なき契約」とは一体なんだったのでしょう。

 言い換えれば、「KARAが事務所とすべき契約」とは何だったのか。

 これは「KARAにとって相応しい仕事とはなにかを問うこと」と同義です。

 報道によれば、彼女たちの事務所であるDPSメディアは、「KARA」という語の商標登録を申請したそうで、これは「メンバーが移籍し、そちらで同じ名前を使用できないようにするため」だそうです。

 ここから分かることがあって、それは「両者が目指すべきは、KARAという名に相応しい仕事、つまりKARAらしい仕事だ」ということです。

 そして「KARAらしさ」とは何かといえば、それは「等身大=生計型であること」です。

見失われてしまった「KARAらしさ」

 韓国におけるKARAは「生計型」と呼ばれ、「芸能人なのに親しみやすい点」がウケたそうですが、象徴的なのが「農業をするリアリティショー」に出演したハラでしょう。

 「生計」といえば「仕事」であり、これは「産業区分」で考えられますが、「第三次:サービス業」は、「KARAがそもそもそうである」といった点から除外できます。

 また「第二次:製造業」というのも根拠がありませんので、やはり「第一次:農林水産業=農業」といった点から、「ハラ=KARAの生計型イメージの象徴」といえます。

 これは日本でも同じで、「バラエティがイメージの主である」といった点から、「韓国でのバラエティ出演をあつめたDVDBOXが出たこと」、そして「バラエティ番組を席巻したこと」が重要になるのです。

 要は、事務所とメンバーがすべきだったのは、この「KARAらしさ=生計型であることの追求」であり、これに失敗したために騒動が発生したのです。

 つまり「KARAらしさが見失われてしまった」のだと。

 ただ、このような厳密なレベルでの分析など、芸能界のマネジメント契約の場において恒常的に行われているとは思えませんし、この点は「不可抗力だった」と言えるのではないでしょうか。

「投資対象」としての「KARA」の定義が不可能

 つまり冒頭に挙げた5つのポイントのうち、「e)メンバーの同意が得られない契約があったこと」については、「仕方なかったのだ」と。

 残るは4点であり、順番的には「2)経済的な問題」になります。

 これは「d)育成費用の回収の問題」ですが、要するに、「KARAがいくら稼げばいいのか」ということです。

 メンバーは「寮生活を送っていた」のであり、「長年レッスンを受けていた」こともあって、事務所は「出世払いを期待して彼女たちの未来に投資していた」のです。

 ただ、ここにはさまざまな問題があって、「メンバーが2度に渡り変わったこと」、「結果的にメンバーになった子、それ以外にも存在したと思われる練習生への投資はどうするのか」など、要素が複雑に絡み合っているのです。

 要するに、「KARAが働いて返すべき金額」を、どうやって決めたらいいのかが分からない。

 むろん可能性としては、事務所)「モノにならなかったやつらのことはこの際忘れる」とか、KARA)「お世話になったので多少多めに稼ぐ」とお互いに譲り合えばいいのですが、「そうではなかった」ということなのでしょう。

 こればかりは「お互いの性格の問題」なので致し方ない。

ギュリのキャリアと性格がグループを支えている

 よって「3=e)」と同様に、「2=d)」もまた「不可抗力だった」となりますが、これは「個々人の経済観の問題」、つまり「1)心理的な問題」だということで、次の議論を自動的にスタートさせるものです。

 つまり、「a)ギュリがノータッチだったこと」、「b)ハラが途中で意見を変えたこと」、「c)メンバーが二分されたこと」についてですが、これは「芸能界ならば必ず起こる問題に対して、どう対処するか」という「個人の性格の問題」です。

 「心理的な問題」とは、そういう意味なのですが、ここで「a)」に関しては即答できます。

 なぜならギュリは子役あがりであり、芸能界のいろはをメンバー中、誰よりも知っているはずだからです。

 今回の問題は、メンバーとその保護者(=ステージママ)の問題でもあると思うのですが、ギュリとその親はこうしたことに対して、その経験から寛容になれるでしょう。

 多少わからないことがあっても、堂々と構えていられるのだと思われ、さすがはリーダーだとなります。

 彼女はバラエティで「女神と美しさ担当」と言って笑いを取りますし、これは日韓どちらでも同じですから、「庶民派であるKARAの象徴」という意味で重要な存在なのです。

 おまけに「最年長」であり「オリジナルメンバー」でもあるといった点を考慮すれば、彼女が「KARAの精神的支柱である」とさえ言えるでしょう。

ハラの重要さと、ギュリとのシンクロ

 また、この「分からないこと」というのは、先ほどいった「KARAらしさの生成・維持・促進」という点に絡んできます。

 それを見つけるために誰もが苦労するのですから、ここで動じないギュリの存在は大きく、この点でハラも同じです。

 なぜなら「生計型アイドルとしてのKARA」の象徴として「農業」をやっていた彼女は、「KARAらしさ」を体感的に知っていたはずだからです。(芸能活動暦も長い)

 「生計型」の象徴を「農業」だとするなら、これは「ハラ」によって担われており、「等身大」の象徴「バラエティ」だとするなら、これは「ギュリ」によって担われていた。

 いわば「KARAらしさが揺らいでいる」最中、ギュリとハラは「もっともKARAらしさを体感していたがゆえに動じなかった」のです。

 すると、残る「c)グループが二分したこと」についても、スンヨンとニコルとジヨンは、この点で「KARAらしさを見失ってしまった」のだと言えます。

 いわば「ギュリとハラ」はKARAの「庶民派な側面」を担っているのであり、残りの3人は「スターな側面」を担っていたのだと言え、これは潜在的に「KARAを二分するものだった」のです。

まとめ

 KARAが売れ、大きなムーブメントとなっていく中で、現場に混乱が起きたものと推測されますが、その過程で「潜在的だった問題が浮き彫りになってしまった」。

 これが「タレントの性格のズレ」程度のことだった問題を、「グループ解散の危機」といった大きな問題へと発展させてしまった。

 今回の騒動の本質を突き詰めてみると、そのような側面が見えてきます。