京マチ子の1ページ漫画「センネン画報」にみる一般漫画との補完関係
2010年06月05日放送の「王様のブランチ」(TBS)では、ブックコーナーで2冊の漫画を取り上げていました。
それは京マチ子というイラストレーターの「センネン画報」という作品で、彼女がブログに連載していた1ページ漫画をまとめたもの(既刊2冊)です。
ウェブ漫画が書籍化されたものといえば戸田誠二の「生きるススメ」がありますが、こちらは数ページあるものも多く、それに対して「センネン画報」は本当に1ページしかありません。
どんな内容か説明すると、例えば「水中おやつ」という作品があります。
平易に見えて、かなりシュールな作風
水中に男の子がいて、酸素ボンベを背負っていないが、その手には梱包材に使う”ぷちぷち”が握られている。
すると、どこからか少女が泳いできて、”ぷちぷち”を2人してツブすと、なかから出てきた空気(水中おやつ)を食べはじめる――。
たった、これだけの作品です。
かなりシュールなネタですが、そうでないものもあります。
たとえば有名な「風力」という作品がそうですが、これとて、どこか視点が歪んでいるのです。
「学校のクラスの窓際に男女がいて、風に吹かれてカーテンがひらりと舞った、その物陰でキスをする」
タイトルが「風力」というぐらいですから、作品の肝となった出来事が、風の力によって生み出されていなければおかしいわけですが、主人公の2人にとって風は何の意味も持たないのです。
例えば、「カーテンの外にいた2人が、風に舞ったカーテンに隠れてしまい、誰からも見えなくなった(外界が遮断された)ので心置きなくキスができる」というのではなく、その逆の「風によって物陰から出てきてしまったので、誰かに恥ずかしいところを見られてしまった(=甘ずっぱさを描いた)」というのでもない。
「風の力」が起こしたことといえば、「主人公/カーテン/読者」という位相関係の中で、カーテンを読者に対して一瞬だけ外してみせる(しかもキスの瞬間には、もう元に戻っている)ということだけ。
タイトルは作中のストーリーに対してではなく、読者の受ける印象へと言及するものなのですね。
収められた作品はとてもシンプルに見えますが、このように「センネン画報」は一筋縄でいかないところがあるのです。
「ストーリー漫画」「展開が速くてせわしない漫画」が苦手なひとこそ読むべきもの
また、時間にすれば一瞬ないし数秒のできごとを切り取っているため、ストーリー的にいえば、実は1ページでも多すぎるぐらいの内容でしかありません。
それでは、どのようにしてコマを埋めているかというと、何気ないしぐさや動きを細かく書き込んでいくのですね。
「カーテンの舞い」「男女がつなぐ指先」「プチプチから出てくる空気」
こういった一般のストーリー漫画ならはしょるか、描いてもコマの端にちょっと出てくるだけのものを丹念に、ときには2コマ3コマと使って表現していくのです。
最近の漫画といえば、アクションのコマ数が大分はしょられる傾向にあります(アニメでいうと、作画枚数が減る代わりに、キャラクターの会話(声優の演技)で埋めていくようなもの――)が、「動きそれ自体」にフェティッシュを見出すタイプの読者には、不満が募る内容になっています。
そこへきて、この「センネン画報」は、細やかなコマ割りによって、そうした読者を満足させるものに仕上がっているのです。
各カテゴリの相補関係
かように現在の漫画というジャンルは、多様化によって、「かつてのストーリー漫画が持っていたもの」が「別のカテゴリへと越境していく」というような現象が見られるのであり、逆にいえば、何か1つのカテゴリが「変わってしまったな」と思ったとき、「そこで失われたなにか」は、べつのカテゴリへと越境し、生き延びているものなのかもしれないのです。
「センネン画報」は、それを私たちに教えています。