「URAKARA」とAKB48のドラマ――「ドラマ24」にみる日韓のアイドルのちがい
アイドル冬の時代以降でしょうか。
「アイドルドラマ」というジャンルが消えて久しいのが昨今ですが、その意味でいうと、テレビ東京の「ドラマ24」が息巻いています。
いまをときめくAKB48の「マジすか学園」が放送されたのが去年の春。
その前には派生ユニットであるノースリーブスの「メンドル」がありましたが、現在は、韓国のトップアイドルであるKARAの「URAKARA」が放送されています。
これによって、「アイドルドラマといったらこの枠」というイメージが付いたはずですが、注目すべきは、そこに見られる「日韓のアイドルの描かれかたのちがい」です。
アイドルとジェンダー
内容についてみてみましょう。
まず時期的にはもっとも早かったノースリーブスの「メンドル」ですが、これは女が男(イケメンアイドル)を演じるという「トランスジェンダー(TJ)」をモチーフにした作品です。
次は「マジすか学園」で、これはダイレクトでこそありませんが、「メインキャラに男性がいない」「ケンカ(男勝りなやつ)の世界とそのヒエラルキー」を描いているという点で、ある意味TJと言えます。
最後に「URAKARA」ですが、これは「惚れさせ屋」がモチーフで、取り扱われているのはあくまで「異性愛」です。
もちろんアイドルなので、それは擬似的なもの(→仕事上の詐術としての恋愛)ですが、TJが含まれていないというこの事実は重要です。
K-POPから読み解くアジアのメディアリテラシー――1位:日本、2位:韓国、3位:その他アジア
http://d.hatena.ne.jp/salbun/20101230/1293680871
以前、こちらのエントリで「韓国のメディアリテラシーは日本に劣っている」と書きましたが、これはその表れなのでしょうか。
「女性が支持している」と一口に言っても
ジェンダーといえば、それを見るファンの性別も気になります。
日本では「女性アイドルのファン」と言ったら「男性」と相場が決まっていますが、KARAは(日本でも韓国でも)女性からの支持を集めることで火が付いたとされています。
近ごろでは日本のほうでも、AKB48によって女性の支持者が増えてきています。
蜷川実花は百合じゃないし、AKBは揺るがない?
http://d.hatena.ne.jp/salbun/20100817/1282010877
むろん「アイドルが国民的な人気を得る」には、つねに「異性からの支持(浮動票)」が必要なわけですが、その内訳はすこしややこしくなっています。
いわば「女性に受ける」といっても、「どんな支持層を持つのか」がちがうわけです。
例えば、引用したエントリでも触れている「ヘビーローテーション」のPVでは、メンバーが下着姿になっていますが、これははっきりと「性的なもの」だと言えます。
AKB48「ヘビーローテーション」PVについて!−Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1044496860
一方で、KARAが日本に来たばかりのとき、「ミスター」での腰振りが「性的だ」とされましたが、これはAKBのケースとは様子がちがっています。
【話題】テレビ朝日のKARA紹介番組で「お尻を強調」、韓国ファンが激怒・非難「日本に何を望むのか」
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/newsplus/1281341621/
「ミスター」の腰振りが話題になったわけ
「下着姿」と「へそ出し/腰振り」ですから、その違いは明らかなわけですが、筆者には「KARAが過剰に反応された感」があります。
この理由については、こちらで書いたことを使って説明してみましょう。
韓国で流行ったダンス(춤 チュム)は、日本で流行らない
http://d.hatena.ne.jp/salbun/20100905/1283683990
内容を簡単に説明すると、「日本ではタタミが擦り切れないように下半身での踊りが禁じられてきた」ということですが、KARAの腰振りダンスは、その意味で「異物」だったわけです。
つまり、かように物議を醸したのは「性的なこと」より、この「ダンスの種類が見慣れなかったこと」の方が大きいのだと思われます。
もし「ミスター」がAKBのシングルと同等に売れていたら、それは「違和感がなかった」という表れですから、バッシングどころか話題にすらならなかったはずで、筆者もそんな感想を抱かなかったでしょう。
東京都の「非実在青少年」の問題にからめて
実は、この問題はアイドルの枠を超えて、社会的な観点から捉えなおされるべきものです。
いま見てきた「性的なものへのまなざし」は、一般化すると「ポルノをどうするか」といった問題になります。
この文脈で、近ごろ世間をにぎわせていたのが「非実在青少年の問題」です。
要は「アニメやマンガのポルノをどうするか問題」なのですが、これはややこしいものです。
MIAU Presents ネットの羅針盤『大激論! 都条例改正案に賛成? 反対?』1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10270671
(1〜5まである)
こちらの関連映像の中で、「想像力そのものが規制されようとしている」と言ったのは批評家の東浩紀ですが、AKBとKARAのちがいにも、これが影響していると思われます。
もし「下着姿」と「へそ出し・腰振り」が同等に扱われているのだとしたら、それは明らかに「後者に対する想像力が過剰だ」ということになります。
くり返すように、それは「見慣れないものへの過剰反応」なわけですが、「非実在青少年についての都の条例」もまた、「想像力=表現の自由への侵犯」という意味でおなじです。*1
露出の度合いとジェンダーへのリテラシー
「URAKARA」がTJを描かないという事実は、ここから納得できます。
つまり「性的に過剰反応されてしまうKARA」は「性的なアイコンとして不自由だ」ということであり、「TJ(=性的な変身)というある種の軽やかさ」を手にすることができないのです。
一方で「下着姿」まで晒しながら、あたかもそれが日常の風景であるかのように消費されるAKBは、逆に「性的に自由だ」と言え、だからドラマでTJが出きるのです。
また先ほどの問い(=ジェンダーに関しても韓国のリテラシーは日本に劣っているのか?)に答えておきましょう。
「ジェンダー」とは「性的なもの」ですが、それは「身体をどう使うか」といった「土着的な問題」に関係しています。
韓国は「椅子を使わない」という点で日本と同じですが、「タタミを使わない」点でちがっています。
ここから「ミスター」の腰振りは「韓国で問題なし」「日本で問題あり」と言えます。
これは「身体の動かしかた」の問題ですから、一見して「AKBの下着姿(=体の動かしかたは関係ない)」とつながらないように思えますが、それはちがいます。
いちばん上のエントリで、筆者はアメリカを「日本と同じメディアリテラシーが高い国」として描きましたが、この国では、レディー・ガガやカイリー・ミノーグなど、トップアーティストがヌードorセミヌードでPVを撮っているのです。
日本人の持つ性的なイメージ
要は、次のようなヒエラルキーがあるわけですが、実際、視聴者は「AKBの下着姿」と「レディー・ガガのセミヌード」のどちらに「性的なもの」を見出すのでしょうか。
例えば日本人のケースを想定しますと、この序列が当てはまらないことが分かります。
ガガのセミヌードでのパフォーマンスが世界中で話題だったとき、日本のメディアがどうだったかというと、大して祭りにならなかったことが記憶されているはずです。
一方で、KARAのダンスはしきりに話題になりました。
要は「日本人はガガのヌードを見ても興奮しない」のですが、これは「日本人が性に奥手である証拠」ではありません。
KARA(カラ)について −その2 日本デビューの危険性−
http://d.hatena.ne.jp/salbun/20100520/1274340219
こちらのエントリで、「日本はAV大国なので、タレントにはむしろ健康的で幼稚なセクシーを好む」と書きましたが、言い換えれば、それは「見せるより隠す」ということです。
よって、先ほどの土着的な問題も考え併せると、ガガの「見せる(脱衣)」よりKARAの「見せない(着衣)」のほうがメディアを賑わしやすいのだと言えます。*2
まとめ
だいぶ話が広がったので、いい加減にまとめましょう。
「ドラマ24」に見られる「日韓のアイドルの描かれ方のちがい」は、そのまま「AKBとKARAに投影されている日本人の性的イメージのちがい」です。
これは第三の国であるアメリカを引き合いに出すと分かりやすく、ガガのような「ヌード」では行き過ぎるため、AKBの「下着姿」ぐらいがちょうどいい。
とはいえ、「隠されたものを想像で暴く」のが日本人の性質であること、また「下半身のダンスが珍しい」といった点から、「ふつうの服を着ている」KARAのほうが物議を醸しやすかった。
この「露出の程度」は、言い換えれば「性的な表象の程度」ですが、さらには「TJの自由度」といったものに重なっていきます。
よって「もっとも露出が少ない」ために人気になったKARAは、「視聴者に(TJ的な意味も含めて)性的な想像の余地があるタレント」ということで、これが「もっともTJしないドラマに出演する理由」なのです。
要は「KARAはTJしてみせる必要がない」と言うことで、これが結論です。