AKB48が全国区になり、初音ミクがローカルで終わったわけ
腹8分目で我慢できたかどうか。
タイトルに対する答えは、これに尽きます。
言い換えるなら、「オタク的知識の押し売りを我慢できたかどうか」です。
「AKB=総選挙」という舌足らずの勝利
AKBは売れた時点で4年もの蓄積がありました。
秋元康からすれば、彼女たちと共に歩んできた長い年月があるわけですから、その魅力について様々なプレゼンスがあったはずです。
「AKBといったら総選挙」
このように「魅力を1点に絞った」のは、ですから苦渋の決断だったはずで、彼以外にはできない芸当だったでしょう。
「総選挙以外にもいいところがあるよ」
実際、ファンはそのように思っていたはずで、2ちゃんねるやブログ、Tiwtterであれこれ議論・吹聴されたのはその証ですが、その「追加説明」を誰よりも望んだのは秋元自身でしょう。
ある意味で、彼は「一番のAKBのヲタ」なのですから。
【参考】
アイドルのマネジメントにケチをつけるヲタは死ねばいい
http://d.hatena.ne.jp/salbun/20100610/1276148106
そこをぐっと堪えたがゆえに秋元は勝利し、ミクはそれに失敗したのです。
「ミク=調教」という快楽の閉鎖性
どういうことか、具体的に説明しましょう。
AKBの場合はアイドルですので、そこでは「タレントの広告戦略」がモノを言います。
一方のミクは歌手ですから、「音楽」がモノを言います。
この場合「追加説明をしない」というのは「情報を詰め込まない」ということですので、「歌詞とメロディ(音符)の節約」になります。
ミクが一般にフィーチャーされるのは「誰でもプロデューサーになれる」という点ですが、「ミクの使用」は「調教」と言い換えられ、あくまで「ユーザー目線」に立ったものです。*1
ここで問題にすべきは逆のベクトルで、「リスナーに対してどうアピールするか」なのですが、この点が話題になることはありません。
自分の調教がいかに高度か。
そのことを誰もがひけらかすばかりなのです。
これは「作りこみ自慢」のため、やり甲斐があるのは「音符がたくさん詰まっていて、歌詞が大量に書き込まれているもの」であり、ミクの曲の多くはそうなっています。
これは「売れない音楽」の条件としてぴったりです。
サザンとミクの対比
サザンオールスターズの話をしましょう。
彼らのデビュー作「勝手にシンドバッド」は『なにを言ってるか分からない』と言われ、音楽ファンには「英語のように聴こえる」と持て囃されました。
このためバンドは「難聴曲」をいくつも発表してきましたが、セールス的には奮いませんでした。
「いとしのエリー」「涙のキッス」「TSUNAMI」という大ヒット曲たちは、どれも「歌詞が聞き取りやすく、音符の数が少ない」という特徴を備えていたのです。
言い換えるなら、「サザンの歴史」とは、「音符の数を減らし、歌詞を聞き取りやすくする歴史」でもあったというわけです。
このような傾向はミクに観られず、唯一の例外が「ワールドイズマイン」です。*2
これは初期の傑作として有名なのですが、後期の名作である「初音ミクの消失」へと向かっていくに連れ、全体が「音符過多の歌詞難聴」になっていきました。
これは「ユーザーたちの調教テクが上達した証拠」ではありますが、「部外者が立ち入りにくい雰囲気ができたことの証拠」でもあります。
サザンのファンが「難聴」を好み、その到達点である「イエローマン」(Sg)「さくら」(Al)(=「TSUNAMI」の直前)のころがシングルの売り上げの底だったように、ミクも「オタク受け」によって「ブレイクへのチャンスが閉ざされた」のです。
オタクがキモがられる理由のリプレイ
これはオタクの日常の再現です。
オタクは、誰も望んでいないのに延々とアニメの話をしますが、このコミュニケーションの失敗は、「情報の詰め込みすぎ」と言い換えられます。
むろん、彼らとて「説明が望まれていない」ことは自覚的していますから、「せめて手短に済ませよう」と思います。
しかし、これが「うつむきがちで早口、しかも抑揚のないしゃべり方」→「キモイ」となって裏目に出ます。
この「過剰説明にまつわるあれこれ」は、そのままオタクのコミュニケーション下手を担保しているのであり、ミクの認知にもメタ的に現れているものです。
つまり、「ミクが売れなかった」のは、「オタクがコミュニケーション下手だから」なのです。*3