萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

笑顔の数値化について――日本人は国際感覚を身につけてはいけない

 今朝の「めざましテレビ」(CX)を見ていたら、いろいろと書きたいことが出てきました。

 およそ3つに分けられるので、エントリも分けてみようと思います。

 1)「笑顔の数値化」について
 2)ユッキーナフジモンと入籍へ

  (※これは直接「めざまし」とは関係ありませんが)
 3)「少女時代」のはなし

 ここでは 1)を取り上げます。

笑顔指数で日本は最下位

 番組の7時台にある『ココ調』のコーナーでは、笑顔を数値化できるという機械をつかった実験が行われました。

 世界各国のひとを数人ずつ集めて、実際に測定してみた結果、次のようになったのです。

順位 国名 参加者の平均値
1位 タイ 91点
2位 ロシア 84点
3位 アメリ 78.3点
3位 フランス 78.3点
5位 日本 46点

 このとおり、日本はダントツで最下位だったのですが、これってどうなんでしょうか。

 「日本人ってほんとダメだよね、コミュニケーション下手だよね」と、そんなベタな解釈をしていて良いものなのでしょうか。

 江戸幕府鎖国政策に象徴される、内気な島国根性の象徴としてのみ、それを見てよいものなのでしょうか。

 答えは「NO」です。

 なぜなら、物事というのは理論化・数値化することで、工学的にマネできてしまうものだからです。

 言い換えるなら、それは「大量生産が可能だ」ということで、将来、きわめて精巧なロボットやアンドロイド、サイボーグといったものが社会に溢れたとき、あちこちに100点満点の笑顔が溢れてしまう、といった結果をもたらします。

 すると、完璧すぎる笑顔は「ロボットみたいで嫌」ということになり、76点ぐらいの微妙な笑顔のほうが、「なんか人間っぽいよね」となるはずなのです。

 そのとき、日本人のような「微妙な笑顔」をする民族というのは、「正しい感性を持っている」という評価されるのではないでしょうか。

島国根性の正しさ

 実際、番組の中でも、それを示唆するアンケートが紹介されていました。

 「日本の街頭をゆくひと50人」をターゲットにし、「同一人物だが、それぞれちがう笑顔をした写真A&B(一方が「機械によって80点と判断された顔」、他方が「100点と判断された顔」)」を見せ、そのうえで「どちらがより好ましいか」と問いかけたのです。

 結果は「A、Bどちらも25人ずつ」といったものでした。

 80点のほうを選んだひとの中には、「100点のほうは作り笑顔っぽくて嫌」というひとがいて、これはいま論じている文脈においては、正しい警戒心だと言えるのです。

 そして、このような感覚は、多くの日本人に共有されているものと思われます。

 それは現在、とても国際的な感覚と呼べるものではないかも知れませんが、「時間の問題に過ぎない」というのが筆者の考えです。

 いずれ、その「島国根性」こそが正しくなるのです。

 「ロボットに支配された(かのような*1)世界」にとって、「人間の社会」はつねに「まわりをロボットという名の海に囲まれた島国」なのですから、「島国根性を保持することの大切さ」を、われわれはそこから学ぶべきなのです。

国際感覚クソくらえ

 笑顔の数値化は、人間の感情を1つのものさしで測り、そこにハマらないものを切り捨てるという発想です。

 同様に、国際語=英語といった決め付け*2だって同じで、それは欧米人を中心とした、「現在の世界の利権を握っているものたち」の傲慢です。

 日本人の感覚は、こういった横暴に対してカウンターカルチャーとして存在しているのであり、それはいずれパラダイムシフトによってメインカルチャーの座へと押し上げられるものなのです。

 そう、あたかもサブカルチャーと呼ばれたアニメやマンガ、アイドルといった文化が、現在の日本で着々とメインカルチャーの座を奪いつつあるように。

*1:あくまで錯覚に過ぎません。ロボットは人間がつくるものなのですから、人間の支配者はつねに人間なのです。

*2:だからといって、そこに対するアンチテーゼである、「きっとこの世界の共通言語は/英語じゃなくて笑顔だと思う♪」というCMソングの発想もまた、極端なものなのですが。