萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

萌えとはなにか

 萌えは一時期もてはやされたことばだ。

 一般に20世紀末に生まれたとされ、05年の「電車男」を期に一般に広まった。

 また深夜アニメやゲームといった二次元を題材にしたコンテンツの背後にのみある思想ともされ、同時にそれは非常にくだらないものとされてきた。

 だがその理解は完全にまちがっている。

 萌えは現代社会を考える上で欠かせないものであり、萌えヲタどころかオタク全体、いや日本どころか世界中の人類に「すでに備わっている」思想だ。

 どういうことか。

萌えと燃え

 萌えは一般にキャラで認識され、萌えキャラはアニメキャラとされる。

 アニメキャラは日本の二次元かつデフォルメされたものだが、アメリカのそれであるアメコミヒーローとちがってかわいい。

 アメコミは頭身が高く首から下(体)が大きいが、アニメは頭身が低く首から上(顔)が大きい。

 これは次のような理解をすればいい。

 萌え=かわいい =やさしい=仲良くする=そばにいる=顔を見ている=顔を強調
 燃え=カッコいい=きびしい=仲違いする=離れる  =顔が見えない=体を強調

 すると、萌えと同音の燃えがなぜ「燃え=熱血」なのかがわかる。

 萌えと対比され「燃え=熱血=体温が上がる=全身に血が巡る=筋肉を激しく使う=戦う=排除する=やさしくない=かわいくない=萌えじゃない」となるからだ。

電車男は萌えヲタか

 このように考えるとすべての人や物事は、すべてその2つに分類されることがわかる。

 言い換えるとこうだ。

 萌え=かかわり=(手で)握手
 燃え=たたかい=(手で)殴る

 萌えが日本から生まれたのは体が(先進国の中では)小さいからで、争いを好まず生きてきたためであり、西洋人は体が大きいから争いが好きで、だから燃えの文化を育ててきた。

 そしてそう考えるとあることがわかる。

 萌えという語や思想が広まるきっかけになった「電車男」の主人公・電車男はあまり熱心な萌えヲタとは言えないということだ。

 なぜならドラマ版の自宅セットを確認すればいいが、そこにはガンダムエヴァンゲリオンという戦闘兵器のフィギュアやプラモデルが並んでいるからだ。

 それは戦いであり燃えだ。*1

 ヒロインたちのフィギュアも並んでいるが少数だし、いくつかは戦闘服を着ている。

萌えの定義の広さ、その1「物理/心理」

 また(文字数に限りがあるため詳細は省くが)このような認識は文明史を書き換えるものにさえなる。

 なぜなら「かかわり/戦い」は「物理/心理」と掛け合わせ、分類できるからだ。

 たとえば「ラブライブ」は一般に「萌え」アニメとされるが、「スクールアイドルランキングの1位めざして戦う」という筋書きのため、「戦い=燃え」だとわかる。

 そしてそれは殴る蹴るといった「物理」ではないため「心理的な戦い=心理的な燃え」と言える。

 また本格ミステリー小説のようなジャンルは「論破=戦い」を目指すため、原理的にすべて「燃え」だと言える。

 ならば「殴る蹴る」をせず「論破」もせず相手と仲良くする行為、たとえば笑顔になる(笑い合う)という行為は萌えであると言える。

 表情a=歯の見せ方a=笑顔=仲良くする=萌え
 表情b=歯の見せ方b=威嚇=仲違いする=燃え

 「争い=燃え」を好んできた西洋は、だから笑顔から遠い文化を持っていることがわかる。

なぜ西洋人にアフリカ人は奴隷化されたか

 実際、それはそうだ。

 サルは笑顔にならずヒトはそうなるが、笑顔はヒトの発明であり、それは恐らく(ほかのホモ類が滅んだ時期のため)20万年前だろう。*2

 文明史(人類史)とは「議論=戦い」して書くものだから、だからそれは西洋人が書いてきたが、それゆえに見落とされてきたものがある。

 彼らは「燃え=戦い」しかわからないがゆえ、「萌え=かかわり=笑顔」の発明に気づけなかった。

 それはアフリカ人の発明だが、西洋人が書いた文明史は人類がそこを出た後、つまりメソポタミアからはじまる。

 それは「燃え=戦い=論破=議論=言語化されたもの」に過ぎず、それ以前に「笑顔=非言語」の文明はあった。

 「文明」は「シヴィライゼーション(市民化)」の訳語だが、「笑顔」は民主主義よりも「市民」にとって大事なもののはずだ。

 それに気づかなかったから西洋人は彼らアフリカ人に敬意を払わず、彼らを奴隷化する残虐さを持てた。

 こうすると「文明史はメソポタミアから」という常識は崩れ、「アフリカから」という新常識が生まれるべきだとわかる。*3

 萌えとはこうした壮大な人類の歴史を貫く、重要な思想なのである。

日本文化の台頭

 またそうすると、なぜ萌えが21世紀に生まれたのかがわかる。

 それは20世紀の次の時代であり、20世紀=二度の世界大戦を否定する時代だからだ。

 地球全土が厭戦ムードに包まれ、実際、インターネットが登場した。

 ネットでつながるのは「どこかの誰か」だが、言い換えれば「目の前にいない誰か」であり、「殴れない誰か」になる。

 せいぜいが心理的な戦い(議論やサイバー攻撃など)で、少なくとも20世紀と比べれば「平和=戦いの否定=萌え化」していると言える。

 だからアニメを通じて萌えは海外に広まり、またアニメや寿司など日本文化は海外へ広まっている。(寿司=ヘルシー=脂質や動物性たんぱく質が少ない=筋肉の増加に向かない=戦いに向かない=燃えに向かない)

 この傾向はコンピュータの進化によって(人類はネットに夢中になるため)これからも続くと予想される。

 たとえば100年後、ロボットはいまの自動車のように普遍化しているだろうが、その際、各家庭にいるそれは愛玩動物のように「かわいい」ものが好まれると予測され、それは「萌え」が求められているということだ。

萌えの定義の広さ、その2「主体性の形」

 だが、実はこれでは萌えを完全に定義できていない。

 なぜならいま見てきたように「萌え/燃え」は「かかわり/戦い」と言い換えれば済んでしまうからだ。

 少し詳細に立ち入ろう。

 実際、萌えの定義はほかにもあり、重要なことは次の3つだ。

 1)「かかわり」が「戦い」の上位になる(武装解除済み、またはそれを目指す)こと。
 2)主人公の主体性が女性キャラクターに(少なくとも一度)委譲されること。
 3)非社会文脈を経ること。

 1)は読んでの通りだし、ここまでの議論で概要は掴めるだろう。

 問題は2)3)だ。

 この理解のためにさらにこう考える。

 2=a)萌え=かわいい=やさしい=戦わない=論破しない=言語化しない=非言語=女性的
 3=b)女性的=非言語=明文化の否定=憲法の否定=社会の否定=非社会文脈

 要約すると「萌えは非言語的で、女性的で、非社会的(≠反社会的)だ」。

 ゆえに萌えは「けいおん」のように女性キャラが多くなる(2=a。萌え=女性的)、またゆえに「涼宮ハルヒの憂鬱」で「SOS団」をつくるのは「主人公のキョンではなくヒロインのハルヒ」なのだと言え(2=a。萌え=女性に主体性が委譲される)、「新世紀エヴァンゲリオン」は「ネルフ=秘密組織=非社会」が舞台になる(3=b。萌え=非社会文脈)。

萌えの定義の広さ、その3「人格の発生」

 萌えの懐はまだまだ広い。

 次のように対比できるからだ。

 萌え=人格の発生
 崩え=人格の消去

 この根拠はいま見た議論(萌え=非言語=女性的)にすでに出ている。

 インターネットのしくみは高度であり、TCP/IPの4階層モデルなど誰も説明できない上、そこで起こる人間の社会活動もまた誰も説明できない。

 たとえばソーシャルゲームの「ソーシャル」がどういうものか、ゲーム外の社会との差異はおろか、単体での定義さえ誰もできない。

 この非言語は女性的であり、だからネットを経由すると誰もが女性の人格として振舞うようになる。

 ネット上のアイコンが男性さえ女性であったり、OSの擬人化が女性であったり、ネット上の人格のもっとも有名なGoogleのSiriが女性であるのもそのためだ。

 それらに当てはまらない場合でも、そもそもネットとは「目的地へ向けて一歩も動かないもの」であり、(いわゆる)社会的な行動を起こしていないものだから、ネット民は誰もが「家庭に入った女性」とおなじ意味を持つのである。

 だからネット時代に新しく発生した人格は「萌え=女性」であると言え、これが「なぜ萌えキャラは女性ばかりなのか」という問いへの答えになっている。

人類の未来を担う萌えと日本

 話を少し戻そう。

 人類の文明史はこれまで西洋人(とそれに媚びた東洋人)によって書かれてきたのとは違い、「笑顔=萌え」を軸にして書き換えが可能なのだった。

 それどころか先ほど触れたように萌えは笑顔=戦わないことにより、ロボットの形で人類社会の未来を担っていく。

 現在の最大の産業は建築や医療で400兆ほどだが、すべての産業に汎用が可能なロボットは、その産業規模が数千兆、いや数京にまで上ると予測される。

 この産業を取る萌えは、世界を支配する思想となる。

 そしてそれをもっともうまく扱えるのは日本人なのだ。

 これまでは20世紀に二度の世界大戦で頂点を向かえた燃えがもっともうまかった西洋人、とくにアメリカ人が世界を支配してきたが、これからは東洋人、とくに日本人の時代だ。

不気味の谷と萌え

 いま萌えは非常に弱い。

 まるで数京円市場など不可能であるかのように思える。

 一時期、日本アニメが海外に大量に輸出されたのと比べ、下火になってきているのだ。

 ニコニコの会員が減りユーチューバーが国内でさえ台頭し、和ゲーは洋ゲーに負け、ガラケーのように日本文化は「ガラパゴス=進化の袋小路」と言われる。

 だがそれはまちがいだ。

 萌えは人格の発生(消去は崩え)だし、だからこそロボットの人格の発生は萌えで、日本=萌えが世界を獲るのだが、だから萌えはロボットの進化と歩調を合わせる。

 ロボットは進化の途中で不気味の谷に入り、一旦気味悪がられるが、完成すれば一気に支持される。

 人類の文化にも不気味の谷があるのである。

 萌えはいまその段階に入っただけであり、心配は不要なのだ。

 そもそも日本アニメが持て囃されたと言っても、それは「ドラゴンボール」や「NARUTO」など「燃えアニメ」であり、支持が減っているのはそちらだけ。

 「うる星やつら」や「けいおん」のような「萌えアニメ」は着実にその支持者を伸ばしている。

 捉え方、眺め方をまちがえて悲観的になってはいけない。

まとめ

 このように萌えは非常に広範にわたる定義と豊かなイメージ、すぐれた実行力を持つ思想である。

 定義1)戦いの燃えと対比され、かかわりを意味する。またそれが上位にくる。
 定義2)男性から女性への主体性の(少なくとも一時的な)委譲を意味する。
 定義3)人格の消去の崩えと対比され、人格の発生を意味する。

 用途)人類社会に深く入り込むロボットの安全性・安心感を保障する。
    (ロボット工学三原則に基づくのは燃えでなく萌え)

 源流)人類始祖の地・アフリカの笑顔の発明

 よって萌えを軽視するものは愚かであり、それは現代社会どころか人類史を否定し、人類の未来さえも軽んじている。

 あなたはコンピュータを捨て、オタクを差別し、KKKとなって黒人を追い回すのだろうか?
 

*1:ちなみに電車男の部屋にはギャルゲーもラノベもない。

*2:トバ火山の噴火による寒冷化など、サピエンス以外は自然淘汰された部分があるが、それ以外にも笑顔の発明の失敗という側面が大きいように思う。

*3:だからジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリなど西洋人が書いた人類・文明史は否定されることになる。