アニメの聖地巡礼にみる、二次元ヲタの限界について(5/5)
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日本の近代化
この思想が日本に渡ってきたのが明治のころで、日本はちょうど近代国家としてその歩みをはじめたばかりでした。
よく「家父長制度」といいますが、あなたはこの「父」のキャラクターについて考えたことがあるでしょうか。
「父」といってもさまざまで、「巨人の星」の星一徹のような頑固もの、「書斎があればなんでもいいや」という意思表示すらできない、「三井のリハウス」のCMに出てくるパパのような草食系。
明治政府が想定した父親像は前者でした。
なにせ日本の近代化のスタートは、世界史的にいってグローバリズムの最初期、つまり帝国主義の真っ只中だったからです。
産業的にも文化的にも、軽薄短小から重厚長大への流れがスタートした時代でした。
もっとも市民生活への影響は昭和まで待たねばなりませんが、政府が思い描いた「国体」は、すでに「天皇という父」を上座(神座)に据えた「神民一体の家」としてあったのです。
日本の風景の再発見
しかしながら、このイメージは実体を伴っていませんでした。
例えば、それは文学に見て取れます。
だいぶ長くなってきたので、詳しいことは大塚英志の「怪談前後――柳田民俗学と自然主義」を読んで欲しいのですが、簡単にいうと、現在われわれが認識している日本の田舎の風景は、みな西洋文化というバイアスをかけた上で成立しているものなのです。
童謡「ふるさと」は、日本に何百年も前からある歌のように思えるかもしれませんが、たかだか100年前に作られたもので、しかもバッハが洗練させた洋楽の手法を取り入れています。
日本人のソウルといわれる演歌だって洋楽です。
いま日本で邦楽と完全に断言できるのは島唄などの民謡ぐらいですが、そのことに気づいて評論している音楽ライターなどこの国には皆無ですね。
ともかく、このようにして西洋のバイアスをかけたものは幻想であり、グローバリズム、つまり現時点での西洋主義に乗っていくためにはよい幻想かもしれませんが、そこには注意が必要です。
その注意不足がまざまざ現れたのが宮崎アニメの消費形態です。
「となりのトトロ」と「もののけ姫」のちがい
宮崎駿の「となりのトトロ」(87')は、その公開当時こそヒットしませんでしたが、テレビでのくり返しの放送やビデオ化によって、その作品世界は”典型的なふるさとを描いた”と、わが国の原風景の1つになってしまいました。
これは冒頭の「聖地巡礼NAVI」にも載っていますが、宮崎は実在する里山をモチーフにして描き、日本全国に「自然は大切だ!」とエコブームを巻き起こしたのですが、識者からは「里山なんて所詮、人間の手が入ったもの。本当の自然は原生林のことを言うのだ」とツッコまれてしまいました。
宮崎は以降、照葉樹林文化論という新たなイデオロギーを手に入れ、縄文杉で有名な屋久島をモデルにした「もののけ姫」を撮ることになります。
筆者は、ここでいう宮崎の転向を「失敗」と表現するつもりはありません。
ですが、なぜそれが起きたかといえば、「里山=人の手が入っていない場所」と彼が思っていたか、知っていたにせよ、それを描いたものだけでは作家として満足できなくなってしまったからだと思われます。
このズレとしての認識こそが、田園都市論に代表される西洋グローバリズムが、日本にバイアスをかけたようすとイコールになるわけです。
翻って、アニメの聖地巡礼について
とはいえ、「トトロ」にはいまでも、日本の古きよき時代を思い起こさせるイメージがあるようです。
日本人は、どうにも”アニメとその舞台”というテーマに対して、冷静で居られないところがあるようでして、宮崎アニメでいうところの「もののけ姫」ではなく、「となりのトトロ」としての風景の再発見として、オタクの聖地巡礼があるように思える。
その象徴が、わざわざ二次元のものを三次元に落とし込むという行為なのだ。
それが今のところ、筆者の出した結論です。
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