アニメの聖地巡礼にみる、二次元ヲタの限界について(4/5)
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エルサレムの紛争をなくす方法
つまり、です。
いっそエルサレムの中心を空洞化して、その外周に聖地を個別に置くとかすれば問題なんかなくなるわけです。
実際のところ、聖地が「実在している」のはキリスト教とイスラム教で、ユダヤ教の場合、嘆きの壁といって聖地の痕跡しかないのです。
そして聖地が原形を留めてるキリスト・イスラムの両宗教が9・11テロだイラク戦争だと熾烈な殺し合いをしていて、ユダヤ人はホロコーストにかかって殺される一方という、見事な歴史的差異が存在するのです。
ユダヤ人みたく被害は出ないほうがいいわけですが、殺しあうぐらいなら、いっそ聖地なんて”遠くにありて思うもの”ぐらいのほうがいいのだと思います。
田園都市論
そういう意味で、アニメの舞台というのは、”遠くにある聖地”の典型といえるでしょう。
それが京アニによって「ハルヒ」が、秋葉原の資本によってメイドさんが形而下されてしまった、つまり”近く”へ引き寄せられてしまった。
これは二次元に耐えられなくなったある種の情報弱者ヲタが、こぞって三次元に回帰してるという現象な気がします。
そして、これは日本全体で起きていることでもあります。
「田園調布」という地名をご存知のかたは多いでしょう。
セレブや金持ちが住んでいることで有名な土地ですが、その名前に違和感を覚えるかたも多いのではないかと思います。
「金持ち」なのに「田園」とはこれいかに?
「田園」がないのに「田園調布」とはこれいかに?
この名前は、明治政府が行った田園都市計画の一環として造られたことに由来しています。
田園都市というのはイギリスから生まれた思想で、都市が発達しすぎてしまい、汚く雑然としすぎてしまったので田舎に帰ろうという発想です。
都市部の地価が高騰して郊外にひとが流れていくドーナツ化現象に似ていますが、それは20世紀の話。
これは19世紀の話です。
産業革命の副産物といったところでしょうか。
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