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アニメの聖地巡礼にみる、二次元ヲタの限界について(3/5)

 このエントリは、次のエントリの続きです。

 アニメの聖地巡礼にみる、二次元ヲタの限界について(2/5)

聖地エルサレムではなぜ紛争が絶えないか

 エルサレムというのは、キリスト教イスラム教といった世界3大宗教のうち2つまで(あと1つは仏教)が、そして同様に多くの信者を抱えるユダヤ教という、3つの宗教がともに聖地として認定している、たいへん珍しい場所です。

 宗教的な情熱というのは恐ろしいもので、その土地に込める思いは食いちがい、聖地の領有や、そこで起きたできごとの意味解釈といった問題から紛争が絶えません。

 有名なところでは十字軍の遠征がありますが、これなど1000年前のできごとで、それ自体がすでに何度目かの再燃だったりします。

 これが端的に現れているのが、そもそもエルサレムはどこの国の都市でもないということでしょう。

 イスラエルが領有を主張していますが、これはユダヤ人の国であること、それをシオニズムをネタにしたアメリカ、つまりキリスト教徒が恩を売ろうとしてでっちあげた感のある国なので、主にアラブ系のイスラム教徒に大不評です。

 よって、国際的にはどこの国にも属していない格好になっているのです。

エルサレムの紛争と同じ構造はどこにでもある

 ここまで聖地つながりということでみてきましたが、すこし話が大きくなりすぎたと思っている読者がいるかもしれません。

 しかし先ほどの「ココ調」でも、地元の声として、「私有地に無断で入る」「深夜まで騒ぐ」といった観光客の迷惑行為があることを紹介していて、これなど聖地の解釈の問題を超えて、もはや一般的な問題といえます。

 具体的に言うと、公園で夜中まで若者がたむろしていて、大人たちが迷惑しているとか、そういう話ですね。 

 これはカラオケボックスなら問題はないわけで、世代論とか教育の問題とかいう以前に、ある三次元の土地にどんな意味を与えるかという問題なわけです。

 次にふたつを見比べてください。

 若者)・・・騒いでもいい場所
 大人)・・・騒いではいけない場所

 そして

 キリスト教徒)・・・エルサレムは俺のもの
 ユダヤ教徒)・・・・エルサレムは俺のもの
 イスラム教徒)・・・エルサレムは俺のもの

 そう、「エルサレム問題」と「公園でさわぐ若者問題」とは、「ある場所をどう扱うか」という意味で、まったく同じ問題なのです。

 この後者、つまり公園問題を解決するには、いい方法があります。

 それは出入り禁止にすることです。

 若者たちはべつの公園へ行こうとしますが、そちらでも出入り禁止。

 するといきおいカラオケボックスやファミレスといった、公共性が低い場所へ流れていくことになります。


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 アニメの聖地巡礼にみる、二次元ヲタの限界について(4/5)