萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

「アイドルの顔の見分けがつかない」というオヤジのアピールについて

 先ほど日本テレビの「スッキリ!」にAKB48前田敦子が出ていました。

 同局では、土曜の9時から彼女が主演の「Q10」というドラマを放送していて、その番宣を兼ねながら、「アイドルグループのメンバーとしての彼女」をフィーチャーするという内容なのです。

相変わらずwikipediaより浅い特集

 もう少し詳しく説明すると、「AKBの歴史」や「前田が総選挙で首位から陥落したこと」について、時系列に沿って追っていくものなのなのですが、これが本当に底が浅いのです。

 たとえば、ナレーションは「首位を明け渡したことで彼女のプライドが傷ついた」と言い、”勝手に”彼女の内面を代弁するのですが、これは前田敦子に関しては絶対にありえないことです。

 なぜなら彼女は以前、ソロ曲を与えられたさいに、「目立ちたくない」と言って泣いたことがあるからです。(逆にいえば、”前へ前へ”の精神がある大島優子ならばありえるでしょう)

 実際のところ、彼女は総選挙の日に、「プレッシャーから開放された」といって、かなり前向きな発言をしていたのですが、以上の文脈を踏まえれば、これが単なる「負け惜しみ」には聞こえないはずです。

 このように、テレビというのは、ちょっとwikiれば済むようなことも伝えないという、きわめて底の浅い内容ばかり放送するのですが、逆に言えば、それで番組が成立してしまうのがトップアイドルというものなのでしょう。

 要するに、ただの「顔出し」で済んでしまうのであり、まるで「政治家が後援者の結婚パーティーに出席するかのよう」です。

ブラックホールのような印象

 さて、ここまで見てきたように、内容において特筆すべき点など皆無だったのですが、あるコメンテーターの発言には引っかかりを覚えました。

 居酒屋でおなじみ、ワタミのCEOである渡邉美樹のひとことです。

――前田さんという方は、(ほかのメンバー)10人(と一緒)でいたら当てられないと思います。

 この直前に彼は、”自分は芸能事情に疎いのだ”というアピールをしていたので、これはそうした流れの上で理解しなければいけませんが、それでもまだ酷い発言だと思います。

 アイドル評論家の宇多丸は、AKB48のセンターに前田敦子が選ばれた理由について、「特徴的な顔だからグループの目印として機能するため」と言いましたが、筆者もそのように思います。

 先述のドラマではロボットの役柄を与えられ、レギュラー番組である「AKBINGO!」では共演者から「眠たいんか!?」とツッコまれることしきりの彼女には、どこか虚無的な印象があります。

 むしろ、ほかにメンバーが9人いて、それらすべてが前田より美人であったとしても、なぜかブラックホールのごとく視線がそこに吸い寄せられてしまう。

 そんな印象を深く与えるのが、前田敦子の顔=タレント性なのだと思います。

アイドル蔑視の風潮

 おそらく宇多丸もそのようなことが言いたかったのではないかと思いますが、ならば、なぜ渡邊はそのような発言をしたのでしょうか。

 むろん、厳密には測り知れないでしょうし、単に渡邊が注意障害(=学校でじっとしていられない小学生みたいなもの)なのかもしれませんが、こういった連中が世の中には多いことも事実です。

 たとえば、モーニング娘。のころは「辻ちゃん加護ちゃんの見分けがつかない」と、ずいぶん言われたものです。

 加えて、これは本当に決まってそうなのですが、そう語る連中はみな何故か”得意げな表情”をしているのです。

 そう、まるで「アイドルに鈍感であることは良いことだ」と思っているかのように。

 そして、それは大抵の場合、中年のオヤジかオバンなのですね。

 渡邊の発言も、このようなアイドル蔑視の文脈に置かれるべきなのではないでしょうか。

アイドル蔑視者=過剰な公平性の信者

 もっとも、前田の負のオーラが、そのような否定的なニュアンスのコメントを呼び込んでしまうのだという見方はできます。

 ただ、これだとややスピリチュアルに過ぎる話でしょう。

 まだ まとめ切れてはいませんが、これは以前から当ブログで何度も取り上げている、「アイドル(ブリッコ)=デートマニュアルのあだ花(反則技)」という図式で説明できるのではないかと思います。(詳しくは次のエントリを参照)

 アイドルとはなにか?(改訂版)
 http://d.hatena.ne.jp/salbun/20100204/1265273811

 つまり、アイドルを否定的に捉える人間というのは、「恋愛という名のゲーム」に「過剰な公平性」を求めてしまう人種(=反則を一切認めない人間)なのではないかと。

 「ゲーム」という意味では「経済」もおなじであり、「経済という名のゲームの過剰な公平性」を求めたライブドアの元社長が、どのような末路を辿ったかはみなさんご存知でしょう。

 ワタミのような「優良企業」のCEOを勤めている彼にも、そうし「行き過ぎた資質」が備わっているのだと思います。

アイドルという存在の必要性

 むろん、これは彼の会社が違法な経営をしているという意味ではありません。

 ただ、「反則を一切認めない」ということと「反則をする」ということは、じつは裏表の関係にあると言いたいのです。

 「交通法規」について考えてみてください。

 「法定速度について違反を一切認めない」ということは、「法定速度である『時速40キロ』を少しでもオーバーしたらダメ(=たとえ40.00001キロでもアウト)」ということであり、このようにルールが厳密に運用された道路では、「誰も運転などできません」。

 よって「法定速度を完璧に守ること」と「法定速度を完璧に無視すること」は、「どちらも等しく交通の便を阻害する行為」と言えるのです。

 「ルール」というのはそもそも、「守ることで誰もが公平にゲームに参加できるもの」なのですが、「それを過剰に守ること」は「かえってゲームを滞らせてしまう」。

 これは「恋愛のルール」にも同じことが言えます。

 多少のお目こぼしは必要なのであり、だから「その例外としてのアイドル」が必要なのです。

 渡邊のような連中は、こうしたことを踏まえずにアイドルを捉えているのだと思われ、その「過剰なルールへの信奉」という点で、彼はホリエモンに似ているのです。

おまけ

 ホリエモンは「ルール厳守」が「地球上」では不可能なことだと知り、最近では「宇宙」へ出て行こうとしています。

 東浩紀ホリエモンは人類とは別の世界へ行け 2010-05-21
 http://www.youtube.com/watch?v=mn3g7vVk8qA

 この動画は「ベーシックインカム生活保護を進化させたもの)」についての議論(ニコニコ動画の生放送)の一部抜粋ですが、ここでのホリエモンは、簡単に言うと、次のように批判されています。

――ルールを遵守し、ゲームへ参加することの障害を完全にフリーにすること(=完璧な生活保護をすること)は立派だが、それだと個々人が持っている不確定要素(別名:自由)をすべて排除するようとすることに等しくなるため、人類には達成できない(=生活には不安が付き物だ)。

 だから「人類とは別の世界へ行け」という、こんな突飛なタイトルになるのです。

 (※ホリエモンは最近、宇宙開発に出資しています)