萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

「酷い内容の授業をした教師がいる」という報道に対する、コメンテーターの酷い反応。

 昨日から今日にかけて、メディアではあるニュースが報じられました。

 教師が小3に「殺人問題」、18人の子どもを1日に3人ずつ殺すと…
 http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100916-OHT1T00045.htm

 詳しくはリンク先を読んでもらうとして、要するに「酷い内容の授業が行われた」ということだけ理解してください。

いじめを助長する授業?

 これに関係して、今日の「スッキリ!」(NTV)では似たようなケースを紹介していました。

 それは00年07月に、とある小学校のクラス(3年生*1)で行われた道徳の授業のことですが、内容としては、「クラスに必要のない生徒の名前を挙げさせて、それが本当かどうか議論させる」というものです。

 筆者はここでも、その是非について論じる気はありません。

 問題は、それについて番組のコメンテーターを勤めている、弁護士の本村健太郎(芸人の山崎邦正にクリソツのやつ)が言ったひとことです。

――いじめを助長するようなことになりますね。

 もちろん文脈・文意としては、「だからダメですね。酷い教師ですね」という話なのですが、読者のみなさんは、このコメントに対して、恐らくなんの疑問も抱かないと思います。

 実は、それも危険なことなのであり、ここでは2つを併せて論じていきます。

善意からのコメントの怖さ

 本村は恐らく善意からその発言をしたのだと思われますし、みなさんも善意でそれを受け止めたのだとは思いますが、実際、それは逆効果です。

 なぜでしょう。

 本村は「いじめを助長する」と言いますが、「その根拠」は説明しませんでした。

 「根拠がある」というのは「論理的に説明できる」ということですが、「論理的なもの(a)」とは「一般化できるもの(b)」ですから、「なぜいじめが助長されるかの説明(a)」は同時に、「すべての学校で同じことが起こることの説明(b)」でもあるのです。

 逆にいえば、「説明できない」ということは、「その学校に固有の事情によっていじめが助長される」ということでもあります。

 以上のことを踏まえて、本村の言ったことを言い換えると、こうなります。

――この事件が起きた学校の生徒はとくに性格が悪いので、こんな授業をやったらいじめが助長されますよ。

 本村の発言が、いかに偏見に満ちているかが分かるでしょう。

社会問題の5W1H

 本村の発言に疑問を抱かなかった「あなた」も、実は同じ偏見を抱いています。

 これを回避するためには、5W1Hをはっきりさせることが必要です。

 実際、メディアから伝わってくる情報というのは限られており、「本当にその結果としていじめが助長されるかどうか」など判断できません。

 では、なぜ本村のような発言が生まれ、それが当然のこととして受け止められるのかというと、誰もが「想像の中にある最低の学校のクラス」を思い浮かべているからです。

 ニュースを見るとき、ひとは悲観的になりがちです。

 むろん番組がそうした感情を煽るせいでもあるのですが、ここで視聴者の脳裏によぎるのは、「特別なケース」でシミュレートされた「最悪の結果」なのです。

 むろん、その試み自体は正しいのですが、その「ケース=学校が実在していない」ということが問題なのです。

 「あなた」が本村の発言に賛同し、「そりゃ確かにいじめが助長されるよな」と思ったとき、「その学校」は一体どこにあり、誰が通っているのでしょうか。

 そういうことを考えながらニュースを見れば、「あなた」はきっと錯覚や誤解から逃れることができるでしょう。

100%無垢な子ども=100%の悪人になり得る人材

 また、こういう角度から見ていくことも大事です。

 ここまでに見てきたような「偏見」は、「想像する限り、もっとも酷いケース=最低の性格の子ども」を想定させますから、結論として、「最近の若い子は無軌道で、すぐキレるから…」といったベタなところに辿り着いてしまうのです。

 ここで想定されるのは、「無限に悪意を持った子ども」であり、その逆には「どこまでも純粋な子ども」が想定されますが、これはキャンバスで言ったら「真っ白」な状態です。

 これは「何色にでも染まれる」わけですから、「無限の悪意を持った子ども」とツルむことで、「同じ色に染まってしまう」可能性があります。

 よって、「どこまでも純粋な子」は「純粋だけどバカだよな→だって悪い子を注意できないし」というふうに見られ、結局、「どいつもこいつも若いもんは使えないな」という、先ほどと同じ結論にたどり着いてしまうのです。

 いえ、むしろ偏見は強化されており、多くの「老害」が世に溢れることになります。

*1:なぜ3年生ばかりかのか気になるところです。