政治家やタレントの言動を分析する専門家に気をつけろ
おとといの予告どおり、今日は少女時代(@「めざましテレビ」)について書こうと思ったのですが、それは明日にまわします。
先に書いておきたいことが見つかったからです。
いまちょうどテレビを見ていたのですが、「ひるおび」(TBS)で、民主党の代表選について報じていました。
その一連の流れの中で、小沢・菅の両氏が記者の前でおこなった何らかの言動に対して、心理分析を試みるくだりがあって、これはある新聞(名前は失念)が専門家に依頼したものです。
いわゆる「新聞はや読みコーナー」的なやつで、新聞の情報を丸々伝えるという、例のテレビの常套手段ですね。
まぁ、その姿勢自体もどうかと思うのですが、問題はそこではありません。
その心理分析の精度について、ここで一石を投じたいのです。
インタビュー・ウィズ・ハリウッドスター
有名人の公的な(とくに謝罪会見のようなフォーマルな場での)態度を心理的に分析するというのは、おそらく酒井法子のときからはじまったもの(女優お得意のウソ泣きだとか何とか*1)と思われますが、これって欧米の丸パクリなんじゃないの?ということです。
心理分析というのは、あるひとの言動からそのひとの内面を推し量る手段のことを言いますが、日本と欧米では、その手段にズレがあるのです。
1つ例を挙げましょう。
あなた(ネイティブの日本人だと想定)は芸能リポーターです。
いまから来日中のハリウッドセレブのインタビューに向かうのですが、そこには定例どおり背もたれの付いた、ややラグジュアリーな椅子が2つ向かい合うようにして置いてあり、あいだには映画のポスター、一方の椅子にはセレブ、そして他方にはあなたが座ります。
先に会場に入ったのはあなたです。
遅れてセレブがやってきて、にこやかに握手をします。
あなたは招いた側のつねとして、まずセレブを座らせ、次いで自分も座ります。
ハリウッドのセレブというのは大抵がそうですが、背もたれがあった場合、当たり前のようにしてそこに身を委ねます。
一方、日本人というのは大抵そうですが、背もたれがあっても使いません。
あなたも、あなたのインタビュー相手も、その通例と同じように行動しました。
さて、問題です。
このとき、あなたは「緊張している」と言えるでしょうか。
日本人の心理を推し量るのはむずかしい
答えは「NO」です。
ふつうなら「背もたれを使っていない」という点から、「この日本人インタビュアーは緊張している」となりそうですが、それは欧米スタンダードにすぎません。
世界では「背もたれを使う」という行為が「リラックスの証」として捉えられていますが、日本ではちがうのです。
むしろ日本では、「背もたれを使う」というのは、「そうしなければいけないほど参ってしまっている」というふうに捉えられ、逆の意味にさえなってしまいます。
例えるなら、具合の悪い人を寝かせるために、電車の中で座席をゆずる感じ、といえば分かり良いでしょうか。
よって、「あるひとの心理」を「その言動」から推測するというとき、日本流のやり方を採用しなければ、てんで見当ちがいな結果が出てしまうわけです。
筆者はテレビの虫なので(このブログでもテレビの話題ばかり挙げています)、こういう話題をよくチェックしているのですが、どうにもその辺りがおざなりにされているように思えてなりません。
つまり、「欧米のものさし」で「日本人の心理」が裁かれているのではないかと。
日本型のスタンダードを
例えば、「欧米」では眠るとき以外、靴を履いたままが当たり前で、あちらには「靴を脱ぐ=リラックスする」という図式があるのですが、それは裏を返せば、「自宅にいても緊張することがある」という事情を意味します。
これをそのまま日本に当てはめてしまうと、「家の中で靴を履いていない」という、たった1点だけを根拠に、「日本の家庭には緊張状態が生まれ得ない(=親子ゲンカも嫁姑問題も存在しない→だって靴を脱いでるもん)」というバカみたいな結論が出てしまいます。
筆者はこういう過ちが、三流心理学者によって、いまもそこかしこで生まれているように思えてなりません。(※脚注欄に注意)
*1:ふだんは「アイドル女優」といって、その演技力を貶めるくせに、メディアというのは都合のいいときだけ「アイドル」を取って、「女優」というのですね。このあたりにもメディアで行われる心理分析の精度を疑わせるものがあります。