アイドルのマネジメントにケチをつけるヲタは死ねばいい
アイドルのオタクというのは、どうしてこうもネチっこいのでしょう。
ハロプロなどが典型で、スマイレージは後ろ向きな話題ばかりが上がり、メンバーの選考を担当しているプロデューサーのつんく♂はオーディションの度に叩かれて、あげく狼などでは、数年も前の話がことあるごとにブリ返されています。
しかし、そんなことを言う資格など、ヲタにはないと思うのです。
アイドルといじめとその第三者
アイドルオタクを長く続けていると、安倍なつみのケースのように、アイドルが学校でいじめられていたという話はよく聞きます。
アイドル自身がパーソナリティを務めている深夜のラジオ番組や、昔あった「ジェネジャン」(「真剣十代!しゃべり場」の民放版)のような、若者がテレビで本音を話す系の番組などで、しばしば耳にすることがあるのです。
人気者のアイドルも意外や意外、学校のクラスでは疎まれていた!というわけですが、これは言い換えると、「周囲の男子が彼女の魅力に気づいてやれなかった」わけです。
いわば「理解者のいない学校」(母校)から「理解者のいる学校」(芸能界)へ転校してきたというわけで、アイドルのファンというのは、こういう欠性を抱えています。
もちろん実際に、「ある男子が自分の応援するアイドルとおなじ学校に通っていた」などというケースなど万に一つしかないわけですが、彼女にとって「その他大勢の男子」という意味では誰も彼もがおなじですし、アイドルの多くが庶民的であることを考えると、「彼女のような子」は、きっと「すべてのアイドルオタクの通っていた学校にいた」のです。
つまり、こうこうことです。
「ある理解されなかったアイドル(デビュー未満)」が「なぜ理解されなかったか」というと、「彼女を理解すべきだった男子」が、「彼女以外のほかのアイドル(デビュー済み)」にうつつを抜かしていたためだ
筆者は次のエントリ、
AKB48の全シングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(1/10)
http://d.hatena.ne.jp/salbun/20100601/1275385719
において、「一人の少女がアイドルになっていくまでのストーリー」を描いてみせましたが、「いじめというキーワードが出てくる箇所」「後にアイドルになる少女が学校に居場所を感じられない場面」というのが出てきました。
これを別角度からみていくと、以上のようなビジョンが見えてくると言うことも可能なのです。
多くのアイドルオタクはつんく♂や秋元康に頭が上がらないはず
ヲタには失態がある。
そして、その尻拭いをするのが、いわば「転校先」のスタッフなわけですから、「当のヌケ作である男子(ヲタ)」が彼らの仕事に難クセをつけるというのはおかしいことになります。
正当なケースとしては、「自分が応援しているアイドルと同じタイプの子を、学校という領域で救おうとしたが不可抗力によって阻まれたため、代わりにアイドルを救うのだ」のようなものでしょう。(あるいはKARAのような外国のアイドルのヲタであるケース)
そうでもないのに――つまり、「いつかどこかでアイドル的な少女を救えなかった過去を持っている」にも関わらず、やたら事務所のマネジメントに難クセをつけるのは愚かな行為だと言え、こういったケースに無自覚であるため、粘度の高いヲタの反応が生まれるのでしょう。
ややタイトルが刺激的だったかと思いますが、その正当性は、いかに世に粘土の高いヲタが多いかを考えれば分かってもらえると思います。