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AKB48の全シングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(9/10)

 このエントリは、次のエントリの続きです。
 AKB48のシングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(8/10)

メジャー10th「大声ダイアモンド」

 その「変化」を示すため、まずは歌詞をみてください。

 走り出すバス 追いかけて
 僕は君に
 伝えたかった
 心のもやもやが消えて
 大切なものが見えたんだ
 
 「大声ダイアモンド」

 情景としては、「大切な『君』が去っていくのを、その場で見ている『僕』」ということになります。

 ここまで見てきたとおり、「僕」というのは「少女」と「意中の彼」の混ざったものですから、この時点で、「この状況はかなり複雑な解釈が必要だな」ということがわかります。

 この複雑さは、「僕」が「少女」を意味するのか、それとも「彼」を意味するのかに掛かっています。

曖昧だった「僕」の意味が確定する

 「僕」が「少女」である場合、これは「君=彼」が「バスに乗ってどこかへ行ってしまう」という状況になりますが、それを「追いかけて」いくのはおかしいのです。

 メジャー5th「僕の太陽」で、彼女は彼を「アイドル=住む世界がちがうひと」と定義してしまったのですから、追いかけないほうが自然になります。

 よって「僕」は「彼」だということになります。

 「意中の彼」である「僕」が「少女」である「君」を追いかけてくる。(=少女が彼になったつもりで、もう1人の私を追いかけさせている)

 これが、この情景の「正解」です。

 これこそ「ありえない」という見方もあるでしょう。

 なぜなら「彼」には彼女がいるからです。

 しかし「僕」という主語において「少女」と「彼」が結びつくのは、「少女の一方的な思い込み」のせいなのです。

 よって、このシーンは「『私が街を去るとき、彼が追いかけてきてくれたらいいのに…』という妄想だった」ということになります。

 では、なぜ少女はそんな妄想をしたのでしょう。

 それは「本当に街を出て行くから」です。

少女が街を出る理由

 ここまで見てきたとおり、少女はいちど街を出ています。

 それは「両親の都合のようなものだったのだろう」と書いた、端的に言って、転勤か何かだろうということなわけですが、再び街を出るというと、これは転勤がくり返されるということなのでしょうか。

 ちがいます。

 転勤続きの家にあって、移動の手段が「バス」という点が、あまりに不自然なのです。

 これは「少女だけが町を出て行く」ということであり、とくに何も事件が描かれていない以上、「就職のため」と考えるのが自然です。

 ここで一足飛びに、後続のシングルをさわりだけ見ていくと、11th「10年桜」、12th「涙サプライズ」、13th「言い訳Maybe」、14th「RIVER」、15th「桜の栞」、16th「ポニーテールとシュシュ」とあり、この中に「少女の就職後の状況」を描写したものがあるかというと、1つもありません。

 せいぜいが「河を渡れ」「自分を信じろ」と歌った「RIVER」がそうでしょうが、あまりにも漠然としすぎています。

 「10年桜」や「桜の栞」の「卒業」、「涙サプライズ」の「友情」、「言い訳Maybe」「ポニーテールとシュシュ」の「恋愛」というように、これまでと変わらないテーマしか歌っていないのです。

 とはいえ、「これまで」と「これから(「大声ダイアモンド」以降)」には決定的なちがいがあります。

 それは「『大声ダイアモンド』以降、『私という主語』が一度も出てこない」ということです。

 見てください。

タイトル 主語
大声ダイアモンド
10年桜
涙サプライズ 僕たち
言い訳Maybe
RIVER なし
桜の栞 なし
ポニーテールとシュシュ

 これまでに記したように、この少女にとって「僕」という主語は、TJするための手段だったわけです。

 そして「住む世界がちがう異性」と「妄想の中での恋」をするための手段でもあったわけです。

 そして「就職のために街を出たあとの主語が『僕(ないし「主語なし」)』で埋め尽くされている」。

 ここから分かることは、ただ1つです。

 少女が就いた仕事は、「アイドル」だったのです。
 
 
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 AKB48のシングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(10/10)