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AKB48の全シングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(8/10)

 このエントリは、次のエントリの続きです。
 AKB48のシングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(7/10)

8th「桜の花びらたち2008

 あまりに脆弱だった少女の自我。

 それゆえ人類補完計画(@エヴァ)発動のように、(一方的な)融合を「彼」の自我と果たしてしまった少女の自我。

 完全に寄る辺をなくした少女は、一種の退行を果たします。

 インディーズ1stの「桜の花びらたち」が、メジャー8thとしてインサートされるのは、そのためです。

 「彼」への恋心、転校、都会での過ち、友情の亀裂、略奪愛への衝動。

 これらすべて「自分にとって見たくないもの」が生まれる前の原初状態。(時制が過去形になる)

 それが「中学時代」だったというわけです。

 (※「桜の花びらたち」とその08年版には、一切の歌詞の変更はありません)

9th「Baby! Baby! Baby!

 依然、「彼」との関係は進展していないようです。

 しかし思いは一方的に強くなっていきます。

 I love you
 Baby! Baby! Baby!
 僕のアイドル
 きらきらした存在さ
 君と出会えた奇跡に
 生きているその意味知った

 もはや「彼」のことを「アイドル」と表現し、「住む世界がちがう相手」だと割り切ってしまったのです。

 これは強くなる一方の思いが「ロマンス、イラネ」での略奪したい欲望へと換わる、つまり、いわゆるところの「ダークサイドへ落ちること」への予防策としてあります。

 一言でいうなら「乖離」で、これは心理学の用語です。

 都合の悪い記憶をカッコに入れてしまう心理的な作業のことを指し、有名な事例は、性的虐待を受けるなどして傷ついた子供が、いつしかその人格を他人あつかいして大人になっていくこと、すなわち多重人格障害がそれに当たります。

 「彼」との耐え難い溝。

 それが少女に一種の乖離を起こさせたのです。

 この乖離が、少女の人生において、ポジティブな一大転機をもたらします。
 
 
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 AKB48のシングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(9/10)