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AKB48の全シングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(5/10)

 このエントリは、次のエントリの続きです。
 AKB48のシングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(4/10)

6th「夕陽を見ているか?」

 この曲は人生や友情について歌ったものです。 

 今日がどんな一日だったかなんて
 帰り道 考えるよね
 悲しいことやつらいこともあるさ
 楽しいことが勝ち越せばいい
 
 家族や友達やまわりの人に
 心配をかけたくなくて
 無理に微笑み 嘘いくつかついて
 君だけが抱え込むのはやめて…

 気になるのが、「帰り道 考えるよね」の部分です。

 これは「リスナーに問いかけている」ところなのですが、ふつう、こうした青春の悩みのようなものは、「家族や友達やまわりのひと」に対して打ち明けるものです。

 しかし、まさにそうした人たちに「心配をかけたくなくて」と歌っているのですから、これは「リスナーにだけ聞かせたい秘密の告白」なのだということが分かります。

 さらに気になるのが主語のあり方です。

 季節の風の向き感じたり
 足下の花に気づいたり
 小さな出会いに そう感謝できたら
 僕らはしあわせになれるんだ

 「少女」のはずなのに、ここでは「僕」が使われています。

 はて、AKB48の曲はずっと男性が主人公だったのか?と思いますが、それは考えにくいですね。

 なぜ、ここではトランスジェンダー(TJ/性の転換)が起きているのでしょうか。

「僕の太陽」再考

 考えてみれば、前作「僕の太陽」の時点で、TJは起きていました。

 それはタイトルからも分かりますが、主人公が少女であることを考えると、これは「意中の彼」の気持ちを歌ったものだということになります。

 しかし「その彼」が「少女」のことを「太陽」だと思っている、つまりずっと田舎と都会で別れているあいだ、密かに思い続けていた(そうでないと急にラブラブになりすぎでしょう)という証拠はどこにもありません。

 これは、どう解釈すればよいでしょうか。

 そもそも、なぜ少女は「彼の気持ち」を考えたのでしょう。

 「太陽である相手」とは、「触れることも、見ることすらも憚られる存在」ですから、これは恋愛の歌である以上、「相手にはすでに恋人がいる」ということでしょう。

 「死んでお星様になった」という考えもありますが、根拠がありません。

 よって「意中の彼」には恋人がいたことになるのです。

片思いの歌「僕の太陽」

 「意中の彼」は「スカート、ひらり」「会いたかった」の時点で、フリーでした。

 だからこそ告白しようと思ったのでしょうし、仮にそうでなかった場合、つまり彼がその時点で彼女持ちだった場合、「何をしても許される年ごろよ」(「スカート、ひらり」)という点から、少女が「略奪してしまおう」と思っていたという可能性もありますが、それは解釈として行きすぎではないでしょうか。

 この考察、つまり「彼に恋人ができたのは、少女が田舎へ帰った時点の直前説」は、「彼=太陽」という具体的な描写から導き出したものなのであり、「『スカート、ひらり』の時点ですでにそうだった説」には根拠がありません。

 よって、「意中の彼」に彼女ができたのは、少女が東京へ行っているあいだということになります。

 そして帰郷した彼女の「片思いの物語」がはじまったのです。
 
 
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 AKB48のシングルの歌詞を、1人の少女のストーリーに喩えてみた(6/10)