萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

「アメトーーク!」でのブラマヨ吉田にみる理屈っぽいひとの処世術

 近ごろの芸人といえば「ギャグ」か「キャラ」の1つでも持っていないと話になりませんが、その2つを密接に結びつけている芸人はそう多くありません。

 その数少ないうちの1人が、ブラックマヨネーズのブツブツこと吉田敬です。

芸能界唯一の「理屈っぽい芸人」吉田敬

 まず「キャラ」のほうですが、これは「理屈っぽいひと」です。

 「アメトーーク!」(テレビ朝日)ふうに括れば「理屈っぽい芸人」となりますが、これは放送したことがありませんし、「プレゼン大会」という公開の企画会議でも話題に上っていません。

 それだけ同種のキャラが少ないということなのでしょう。

 これは「なんでも理詰めで考え、それから行動に起こすタイプ」というイメージで、まぁ、ブログで批評なんかやってる筆者も似たようなタイプですから、かなり親近感を覚えるわけです。

 ただし、これは「そういうひと」というだけのことですから、芸人である以上、笑いの要素が加わらなくてはいけません。

吉田の笑いの手法

 その方法は2つあって、「ツッコミ代をつくる(ボケる)」と「ギャグをつくる」となります。

 前者は有名な「顔のブツブツ」で、前出の「アメトーーク!」での雨上がり決死隊・宮迫とのやりとりが顕著ですね。

 健忘症に罹り、「誰やっけ?」と吉田のことを忘れてしまった宮迫が、目をつぶって彼の顔を触る。

 すると、そのブツブツの感触を頼りに五感が記憶を呼び覚まし、「おまえ吉田や!」とさけぶ鉄板のくだりです。

 これは「吉田の全存在がブツブツに象徴されてる→ブツブツにしか存在価値がない」というギャグで、「見た目のキャラ」と結びついていると言えます。

 ですが、より本質的なのが、もう1つほうです。

 なぜ「より本質」と言えるかというと、「ブツブツ」が見た目に過ぎないのに対し、「理屈っぽい」は性格の話だからです。

 見た目は誰にでも、どんな時でもツッコめますが、性格については、本人が内面を表現しなければムリです。

 だから「見た目=ツッコミ代(リアクション)」、「性格=ギャグ(アクション)」となるのです。

変化するギャグ「どうかしてるぜ!」

 さて、こちらの「ギャグをつくる」のことですが、彼の「ギャグ」は、まさに「いま作ってる最中」という感じがするものです。

 ほかの芸人が完成した状態で披露するとか、あるいは未完成であったとしても、ふつうそのようすを隠そうとするのとはちがって、むしろ手探りの状態を見せていくことに眼目が置かれています。

 相方の小杉竜一が「やるたびに下手になってる」と形容するように、彼のギャグ「どうかしてるぜ!」は、変化していくようすを逐一見せていくのがおもしろいのです。

「どうかしてるぜ!」はスベリ芸の一種

 また「どうかしてるぜ!」というフレーズは、相手の姿勢を否定的に捉えるという意味を持っていますが、これはどんな話を振られてもそこへ落とし込んでいくというタイプの芸です。

 よって「うまく落とし込めた場合」と「そうでなかった場合」があります。

 これは文章ではうまく説明できないので、同種の芸で説明しましょう。

 サバンナ八木の「パナキ」という芸があって、これは「与えられたお題でしりとりをして、必ず『パナキ』ということばで締める」というものですが、これは「演者のしりとりの能力」や「与えられたお題の難易度」によって成否が決まります。

 吉田のギャグも似たようなものだと思ってください。

 これは成功した場合、ネタフリされてから2〜3秒でギャグに持ち込めますが、後者の場合、ヘタをすると20秒ぐらいかかってしまい、普通だとカットになるわけですが、「どうかしてるぜ!」の場合、そうならないのです。

 いわゆる「スベリ芸」というやつですが、吉田の場合、少し様子がちがいます。

スベリ芸にはじめて輪郭を与えた吉田

 一般にいう「スベリ芸」の場合、たんに目論見が外れたというだけのことです。

 「お笑い芸人」である以上、「おもしろくて当然」であり、そいつがスベったということは「事実とちがうことが起こった」と言えます。

 電信柱に対して、「おまえしばらく見ない間に背が高くなったな」と、あたかも人間にするように話しかけていたら、それは「電柱を人間だと思う」という「事実とちがうこと」が起こっているわけです。

 「芸人がスベる」というのも同じで、「電柱に話しかけるひと」に対し「それ人間じゃねーよ」とツッコミが入り、「事実の訂正」が起こるように、「スベった芸人」に対して「スベってんじゃねーよ」と「笑い飛ばす」ことで「結果的に笑いが起きた」という「訂正」がなされるわけです。

 吉田のギャグ「どうかしてるぜ!」の失敗もそうで、小杉が「どんどんヘタになってるやん!」とツッコむことで、「一流の芸人のギャグ(ブラマヨはM−1チャンピオン)はうまくいって当然」という前提に対する「ギャグの失敗というボケ」が「訂正」されるのです。

 唯一ちがう点は、吉田が「理屈っぽい芸人」であるがゆえに、その過程を狙ってやっているように思えることです。

 つまり「ツッコんでもらえるならスベってもいい」という「スベリ芸の常識」は、結果としてそうなっていっただけですが、吉田の場合、どうも「その状況を逆手に取ってやろう」という意図があるように思うのです。

 「スベり芸って、こうやればいいんだろ?」というしたたかさが見え隠れする、と言えばいいでしょうか。

視聴者が吉田から学べること

 先ほど「ブログで批評なんてやってると共感する」的なことを書きましたが、ここまで見てきて、あらためてそう思うのです。

 吉田から受けるイメージの最大公約数は「計算づく」「腹黒」「細かいことにうるさそう」「ノリが悪そう」といったものでしょうが、簡単に言えば「コミュニケーションしづらそう」となります。

 これは「ブログで批評なんてやってるやつ」に共通する資質ではないでしょうか。

 吉田は、これらのすべてを逆手にとることでコミュニケーションの道具としているのです。

 筆者がなにが言いたいかはお分かりでしょう。

 よって多くは語りませんし、彼のように振舞うことは実際、むずかしいでしょう。

 そもそも小杉のような有能な相方を見つけなければいけないわけですし。

 しかし、吉田の「理屈っぽいキャラをギャグにして、その計算違い(失敗した滑稽な姿)を笑いに転化する」という姿勢は、決して「われわれ」のような人種にとって看過できるものではありません。