萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

Twitterで質問していいのはフォロワー何人以上?

 Wikipediaによると、Twitterは「コミュニケーションのためのもの」だそうです。

 Twitterツイッター)は、 個々のユーザーが「ツイート」 (tweet) と称される短文を投稿し、閲覧できるコミュニケーション・サービスである。

 またコミュニケーションとは「情報の相互伝達」だそうです。

 コミュニケーション (漢: 交流 英: Communication) は、複数の人間や動物などが、感情、意思、情報などを、受け取りあうこと、あるいは伝えあうこと。

 すると、「Twitterの主目的のひとつが質問とその応答だ」と言うことができるでしょう。

 しかし、この「Twitterでの質問」というのが、少々厄介なのです。

筆者にはマネできない事例

 Twitterで質問ということで、筆者のタイムラインから一例を引いてみましょう。

 ところで川崎市の汚泥の焼却灰、1キロあたり1万3200ベクレルってかなり高いように思うのだけど、これはどういうふうに管理すべき数値なのかしら? (まじめな質問)

 これは東浩紀氏のツイートで、選んだのは「たまたま目に付いたから」です。

 内容については華麗にスルーしてください。

 注意したいのは、これが誰か特定のひとに向けてメッセージを発した「返信」ではなく、ふつうに「ツイート」をしたものだということです。

 つまり「虚空にむけて問いかけているに等しい」のであり、もし筆者が同じ疑問を抱いたら、ちょっとありえない展開だなと思います。

 そんなツイート、絶対にできないだろうなと。

 なぜなら、筆者のフォロワーが「たった5人」しかいないからです。

コミュ能力をめぐる第三者の判断

 ここでなぜ「人数」が大事なのか。

 それは「返答がなかったときのショックの大きさを左右するから」です。

 「質問」というのは当然、「返答」を期待したものであり、それがなかった場合、「コミュニケーションは失敗に終わった」と言えます。

 コミュニケーションの成否は、むろん個々の能力に関わり、それは「現代人なら高く備えておくべきもの」とされます。

 ならば「返答がない」という事態は、第三者からの「こいつコミュニケーション能力ないな?」→「むしろ人間失格じゃね?」といった「疑念」を呼び寄せることになります。

 「返答がなかったときのショック」というのは、これに由来するものです。

 例えるなら「ギャグがスベったとき」という感じでしょうが、ここで問題にしているのはそれ自体ではなく、その「大きさ」です。

 なぜ同じように「返答がなかった」場合なのに、「ショックが大きい」「小さい」が変わってしまうのか。

 ここに関わるのが「フォロワーの数」なのです。

キュレーター=コミュニケーター

 そもそもの話、「フォロワーの数」はそのまま「コミュ能力」を表します。

 ネットのリテラシーについて近年「キュレーション」ということばが使われるようになっていますが、これは「情報をうまく捌けるひと」といった意味です。*1

 つまりTwitterの使用は「キュレーション」だといえ、それをうまく使うことでフォロワーが増え、それは「よいキュレーターの証」だと言えます。

 また「Twitter=コミュ・ツール」という式があるのでした。

 キュレーション・ジャーナリズムとは何か|佐々木俊尚公式サイト
 http://pressa.jugem.jp/?eid=181
 佐々木俊尚「キュレーションの時代」特集−ブクログ
 http://booklog.jp/special/curation/

 「キュレーター」でググると上のページがトップに来ますが、サイト主の近著のタイトル「キュレーションの時代」でググってみると、今度は下のページがトップに来ます。

 こちらのページの冒頭には「『つながり』の情報革命はじまる」とあり、この「つながり」とは「コミュニケーション」ですから、やはり「キュレーター=コミュ強者」ということになります。

 ですから「フォロワーの多いひと」は、それだけで「コミュ能力が高い人」を意味するのです。

フォロワーが多いと価値観が反転する

 さて、「質問への返答がないのが怖い」のは、「コミュ能力の低さを疑われるから」ということでした。

 しかし、実際に返答がなくても、フォロワー数が多ければ、それは即座に「コミュ能力が高いひと」を意味するのですから、まったく恐れる必要などありません。

 例えば、先ほど例に出した東氏の場合、現在8万人ほどのフォロワーがいますから、このケースに当てはまることが分かります。

 よって、彼が例の質問をしたとき、筆者がここでウジウジ悩んでいるような感覚は、まったく抱かなかったものと思われます。

 彼のようなケースの場合、もし返答がなかったとしても、その事実はまったく別の反応を第三者にもたらすでしょう。

 例えば、こんな感じ。

 8万人もフォロワーがいるのにwwwww
 誰も返せない質問をするとかwwwww
 AZMどんだけwwwww

 むろん、ここで生やされている草はポジティブな意味を持ち、少なくともネガティブな意味ではないでしょう。

 このようにフォロワーの数は、ツイートとその現象に対する素直な解釈を塗り替えてしまうものなのです。

けっきょく答えは分からない

 まぁ、なんか理屈っぽく書きましたが、要するに「フォロワーが少ないと切ないし、質問すらろくにできないよね」ということです。

 タイトルに対する答え(=これは自問自答という空しい行為に)も、具体的な回答はありません。

 まぁ、東さんぐらいいれば確実に大丈夫でしょうし、せいぜいが「1万人以上」ってところでしょうか。

 筆者の場合、フォロワーが「たったの5人」ですから、「虚空へ向けての質問」なんていう、まるでラノベの厨二的必殺技のような行為など、くだんの黒猫氏でもないので、まず出来っこないって話です。

 何かもはや愚痴にさえなってきましたので、最後にあるあるネタで締めましょう。

 「Twitterで質問したのに返事がない状態」って、何となくこれに似てるよねっていう。

 美少女が自分に向かって手をふってる→俺に気があるのか?→満面の笑みでふり返す→美少女がかけよってくる→期待に胸と股間がふくらむ→華麗にスルーされる俺→後ろに別のやつのがいる→実はそいつの彼女だった

 その心は、「どちらも(虚空に)振り上げた拳(手・質問)がおろせなくなっています」*2

*1:「正確な語義」や「各文脈における使用方法」については各自でググってください。

*2:こちらはともかく、先述した「ギャグがスベったとき」に関しては、あとで解決策について論じようと思います。それはお笑い論やコミュニケーション論の形を取るでしょう。