チリの落盤事故はなぜ世界中で感動を呼んだか?
正月の2日にNHKで「新春TV放談2011」という番組をやっていたのですが、そこでチリの落盤事故が語られていました。
出演者の矢口真里いわく、「ハッピーなニュースが少なかったから(受けた)」だそうですが、これは大きな間違いです。
なぜなら、日本全国には数え切れないほどのハッピーなニュースが存在するからです。
実際、凶悪事件の数は年々減っており、この事実自体が、すでにして「ハッピーなニュース」でしょう。
ここから分かることが1つあって、それは「いま望まれるニュースの条件」に「ハッピーであること」が含まれていないということです。
では、その「条件」とは一体なんなのでしょう。
ドキュメンタリー殺しのYouTube
この話題は「ドキュメンタリー部門」で出たのですが、出演者にはドキュメンタリー監督の森達也がいました。
彼は、「信仰の問題について論じなかった日本のメディアは的外れだ」と、それこそ的外れな言動をしていましたが、ここで大事なのは「定義」です。
YouTubeをはじめインターネットの登場は、「テレビドキュメンタリー」の絶対性を破壊しつくしたわけですが、番組の「TV放談」というタイトルから考えるに、彼らの言う「ドキュメンタリー」とはその「遺物」を指しています。
むろん、彼らは「遺物」とは思っていないのでしょうが、その脅威は感じているはずです。
このとき、彼らの深層心理は、次のようになっていると推測されます。
「過去の遺物であるテレビドキュメンタリーにすがる自分たちは愚かで、その愚かさを暴くのがインターネットだ。認めたくはないが、そのためにはインターネットを無視しなければいけない」
このように考える主体がとる行動は1つです。
「自分たちと同じくネットと距離を取っている人たちをさがす」のです。
タイムマシンとしての穴
実際、彼らが「感動」を覚えたのは「落盤事故の当事者たち」であり、「掘削現場に閉じ込められたひとたち」でした。
当然、「この穴の中」には「文明の利器」と呼べるものがありませんし、「ネット環境」もありません。
ここで答えが出たようです。
「いま望まれるニュースの条件とは何か?」という疑問に対する答え。
それは「ネットのない環境がモチーフになっていること」であり、「あの穴の中」は「ネットが登場する以前の世界」をメタファーしていたため、おなじ「ネット無視派のテレビユーザー」から支持されたのです。
言い換えれば、「あの穴の中」は「(象徴的な意味で)時間軸が歪んだ領域」であり、「『ALWAYS -三丁目の夕日-』の世界」の具現化したものなのです。
これは日本での考察ですが、よく似た現象は世界中で起きていたのでしょう。
日本のように「ネットがあるのに軽視している」、あるいは中国のように「ネットが完備されていないがゆえに軽視している」、そんな国々において。