少女時代、到来?――そして、ちょっと自分語り
もうね、訳がわかりませんよ。
AKB48だSKE48だBump.yだアイドリング!だKARAだ少女時代だモーニング娘。だスマイレージだ…。
戦国時代とは言いますが、さすがにこれは多すぎでしょう。
気づけば、少女時代のライブには2万人が来たと言いますし、半分がリピーターにしても1万人ですからね、ちょっと検索を怠っていると、取り残された感がハンパじゃなくなるという、ネット時代を象徴するようなできごとです。
いっそ、どれかグループを切り捨てなければいけないかなと思ったり。
もともと筆者は現場に疎いのもあって、すべてを追っていたわけではない(=ももクロとかさっぱり――な)のですが、それは「現場/在宅」という対立項での話です。
これが今度は「タイプa/タイプb」という対立になるわけですね。
で、この「少女時代を含む側」を「タイプa」としたとき、こちらを切り捨てることになりそうなんですよ。
反対の「タイプb」は「KARAを含む側」になり、こちらは「正統派の日本型アイドル」という印象があります。
逆にいえば、「少女時代は日本型アイドルではない」ということになるわけですが、そう思った瞬間というのがあります。
今朝からテレビでは、あちこちのワイドショーの芸能コーナーで、少女時代の来日イベント(先述)を流しているのですが、気になったのはメンバーがMCで「フォー!」とシャウトしていたことです。*1
これって日本のアイドルでは考えにくいことではないでしょうか。
MCというのは、きわめて大人しく、型にハマったものであるのが通例で、どこか「学校のクラスで先生にさされた生徒が、仕方なく答えているような感じ」と言えると思います。
少なくとも、決して「自分から積極的に大きな声とはっきりした態度で」という感じではありませんで、だからこそ「台本にあることしか言わない=アイドルのデフォルト」なのです。
実際、KARAだって、来日してからのあらゆる仕事を筆者は見てきましたが、「あぁ、引っ込み思案(ギュリの女神キャラをのぞくw)っぽくて、B級アイドル的だな」という印象を持ったのでした。
むろん、「だが、それがいい」(韓国での支持もおなじような理由からでしょう)という話なのですが、少女時代にはそれがないんですよ。
すでに東南アジアでは場数を踏んでいることや、大人数で気持ちが大きくなっていることもあるんでしょうね。
筆者からすれば、その「慣れちゃった感じ」が「摺れちゃった感じ」に見えてしまって、少女時代に対して距離を感じるゆえんになっています。
あるいは「なんか偉そうな感じがする」とさえ言うことができます。
アイドルにまつわるテーゼとして、「ヲタはヲタ芸に夢中でステージを見ていない」というのがありますが、韓流のアーティストにはそんなことありませんで、これって「誰もがステージを見ている」ということです。
逆にいうと「日本のアイドルは、ヲタにどこか軽視されている」ということでもあり、「日本のアイドルのコンサートはヲタに支配されている」と言うこともできます。
だから「教師に支配された学校のクラスの中で、生徒が小さくなって質問に答える」かのごとく、「アイドルはお仕着せのMCをする」のだと。
この点で「戸惑ったようなKARAのMC(などメディア露出)」というのは、「正統派アイドルの佇まい」と言えますが、少女時代の「フォー!」はあきらかにちがいます。
「彼女たちがステージを支配している感じ」がするんですよ。*2
だから「偉そう(=何様!?)」感が漂うのだと思います。
この問題は、またあとで詳しく見ていきますが、いまのところ筆者は、それらを理由にして、少女時代とは距離を置くことに決めました。
少なくとも韓流は、KARA一本に絞って応援していきます。*3