秋葉原連続殺傷事件の報道について――テリー伊藤の愚かな言動
2010年07月28日の「スッキリ!」(NTV)では、加藤智大の話題を扱っていました。
スタジオでは彼が「罪を犯した理由」について説明したことを取り上げ、コメンテーターがああだこうだ言い募っていたのですが、相変わらずバカだなという印象しかありません。
テリー伊藤のコメントなどが典型で、「加藤は他人のせいにばかりしている」と言ったのですが、こういう思いを抱く日本人は多いのではないでしょうか。
確かに、番組でチェックする限り、彼のコメントは母親のことに終始していたわけですが、テリーの愚かさは明白です。
恐らくですが、加藤は「ことのすべて」ではなく「彼にわかる範囲での原因」について言っているからです。
彼は「自分に『論理的に』説明できることだけを話した」という意識があり、テリーは「彼は『自分が自覚しているすべて』のことを話した」という意識がある。
むろん実際には、加藤の脳ミソをかち割って中身を調べない限り分からないのですが、そんなことを言っても始まりません。
加藤は「論理」で語り、テリーはそれを「情理」で語っていると思っている。
このズレが原因(少なくとも主要因)であるはずなのです。
加藤はいわゆるコミュニケーション弱者ですが、日本のそれには、得てしてそういうところがあります。
オタクがアニメの話題をごり押ししてしまうのも、「自分は論理的に正しいことを言っているのだから、相手はそのポイントについてきっと理解したいはずだ、だから話が多少長くなっても構わないだろう」と思っているからであり、相手はもっとノリで話したいと思っている。
具体的なケースを取り上げることはむずかしいですが、誰にでも思い当たるフシのある話ではないでしょうか。
いずれにせよ、加藤は「論理的に」考えたため、「自分の欠点」について自覚していたにも関わらず、「それは難しい話であり、あやふやにしか説明できないため、とても不誠実なことだ(=それこそ被害者に申し訳ない)」と考えた。
だから口にしなかったのかも知れないわけです。
これを無視して、テリーは「他人のせいにばかりしている」と決め付けた。
それに視聴者が賛同した。
こういうおためごかしな世論ばかり存在するから、日本では加藤のような人間がいなくならないのだと思います。
(※つまりテリーは勝手な決め付をせず、「彼は他人のことばかり説明している」というふうにして、端的な事実性にのみ言及するべきだったということです)