iPadのニセモノ登場――「めざましテレビ」の特集にみるスティグリッツ経済学の意味
2010年06月07日放送の「めざましテレビ」(CX)では、『ココ調』のコーナーで、定番となった中国の模倣品市場について特集していました。
今回取り上げるのは「iPad」のニセモノである「ePad」なるもの。
ココ調調査隊によると、2つの製品には以下のように、「似たような機能」と「異なる性能」がありました。
機能 | iPad | ePad |
インターネットブラウザ | 内臓 | 内臓 |
アプリの販売 | ある(app store) | ある(app「s」 store) |
アプリの数 | 約20万種類 | 321種類 |
画面の回転 | 自動(スムーズ) | 手動(スムーズでない) |
タッチパネル | 繊細な反応 | 反応しないことさえある |
起動時間 | 3秒66 | 56秒50 |
どうみても本家のほうが優秀だと分かるわけですが、ここで笑ってばかりもいられないのは、こうした特集が頻繁に組まれているという現状があるからです。
つまり、現代の消費者は「ニセモノと比較しないと本物のよさが分からない(忘れてしまう)」ということを、この事実は示しているのです。
ここで思い出すのが、スティグリッツの非対称性経済学です。
アダムスミスの250年帝国を覆した
01年、ノーベル経済学賞を受賞したのは3人の学者でした。
その中心的人物がジョセフ・E・スティグリッツというアメリカ人で、「非対称性情報下の経済学」という1つの経済学ジャンルの発展に大きく貢献したためでした。
これは俗に「非対称性経済学」と言われ、簡単にいうと、「メーカーが示した情報のすべてを消費者が理解しているわけではない(という前提で考えよう)」ということです。
つまり、それまでの経済学では、「メーカーの出した情報」と「消費者の理解した情報」が「イコール」だと思われていて、だから「対象性経済学」ということになるわけですが、実際にそう呼ばれていたわけではありません。
これは18世紀の経済学者、アダム・スミスというひとの考えを核にした理解であり、それがあまりに当たり前すぎたため、だれも「対称か否か」などと考えなかったのです。
スティグリッツらは、この250年来の経済観を打ち破ったのであり、むろん同ジャンルは、数十年前から構想されてはいましたが、彼らのもたらしたブレイクスルーの大きさが、選考委員によって賞賛されたというわけです。
「iPad」の例でいうと、この商品についてメーカーが「10個のセールスポイント」をアピールしたとき、消費者はカタログやテレビコマーシャルを見て「そのすべて」を理解できるというのがアダム・スミスの経済観なのですが、スティグリッツらは「10個ということはありえない。かならず9個以下になる」と言ったわけです。
だから「ニセモノと比較してはじめて分かるよさがある(=最初にメーカーに言われただけでは分からない)」ということになるわけです。
三河屋の御用聞きのすごさ
ところで、あなたは「サザエさん」をご存知ですか。
磯野家という、ちょっと家系図がややこしいものの、昭和の日本では中流に位置した家庭の、なにげない日常をスケッチした4コママンガ(短編アニメ集)のことです。
この中に「三河屋のサブちゃん」というキャラクターが出てきます。
彼は「酒屋さん」なのですが、「御用聞き」といって、注文を受けてまわる家の雑務などを承る、便利屋のようなこともやっているのですね。
「お父さん(波平)の晩酌に焼酎を一本、それからお料理用に日本酒を一本。それからお醤油も一本いただこうかしら」
そういって、サザエさんかフネさんが注文するとき、こんなふうに言い足すことがあるのです。
「ごめんサブちゃん。いまちょっと手が離せないから、ガスコンロの火、止めといてくれる?」
まぁ、サザエさんがタラちゃんのおむつでも替えていたのでしょうが、本来、これは「酒屋さん」に頼む仕事ではありません。
仮に頼んだとしても、「その雑務のぶんだけ代金に上乗せする」のが常識でしょう。
しかし「御用聞き」たちはちがった考えを持っていて、雑務のぶんの代金は受け取らないのです。
御用聞きは、スティグリッツ経済学を利用していた
この「考え方・商法」は、江戸時代の中期ごろにはすでに成立していましたから、300年もの長きにわたって、日本の一般家庭を支えてきたのでした。
いまでも「カンブリア宮殿」(TX)で特集された「カクヤス」が、それをビジネスのスキームとして取り入れて大成功を収めていますが、これは「消費者(サザエさん)にとって『酒代』のみ」であるものが、「三河屋にとって『酒代+雑務代』」であるという意味ですから、完全にスティグリッツの非対称性経済学の範疇になります。
そして、本当に酒代以外に取っていないわけではなく、ビジネスの主体が自覚していたかどうかは別として、御用聞きたちは雑務のぶんも上乗せして商品の代金を決めていたのですね。(少なくとも「カクヤス」の社長は自覚していたようですが)
つまり、「01年にノーベル賞を獲ったスティグリッツが覆した250年前の考えかたであるアダム・スミスの経済観の生まれたころ、つまり18世紀において、日本にはすでにして非対称経済学が商売に使われていた」ということなのです。