KARA(カラ)について −その1 KARAとは何か−
あなたは KARA(カラ)を知っていますか?
5人の韓国人女性からなる、歌と踊りのパフォーマンス集団のことです。
wikipediaから引用すると、
カラ(카라、KARA)とは、甘いメロディーという意味を持つ言葉。これに、ギリシャ語の「CHARA(喜び)」を加えて、「KARAの音楽を通じて、喜びを与えたい」という気持ちが込められている。
とありますが、日本では古来から韓国のことを「からくに」といい、日本人からすれば「KARA=韓国そのもの」といえるかもしれません。
いい加減、カラカラうるさいかもしれませんが、これで名前をおぼえてもらえたと思います。
このエントリでは、彼女たちの歴史について見ていきます。
デビューはつまづきの連続だった
KARAは日本のアーティストとちがいシングル盤を出しません。
筆者はその方面に明るくないので、韓国では皆そうなのかもしれませんが、少なくともKARAは、アルバムの中からリード曲を選び、テレビでいくつか披露することでプロモーションするという方法を取ります。
07年、デビュー盤の中から選び抜かれた、いわばデビューシングルに当たるものが「Break It」でした。
これはソウル・ヒップホップ路線で、”ボーイズンザフッド(フードをかぶった少年)”よろしく、肌の露出を控えた、全体に黒を基調とした衣装をまとった、カッコイイ路線のものでした。
いかにも男に媚びそうにない、強い女性をイメージさせ、タイトルも歌詞も、主人公の少女が自分から恋を終わらせていくようすを思わせます。
この路線は、はっきり言って当たりませんでした。
それどころか少女時代やワンダーガールズという、同年代のガールズグループに遅れを取る格好になってしまい、さまざまなトラブルに見舞われた結果、メンバーが脱退する騒ぎにまでなったのでした。
路線変更で女性層に支持される
この後、数ヶ月の空白期間ののち、KARAは2人の新メンバーを得て生まれ変わります。
ジヨンはメンバーの中でダントツに若く(akbでいうと松井珠理奈のような存在)、ハラは”いまどきのギャル”っぽいルックスをしていました(akbでいうと板野友美に似ています)。
「Break It」への反動からきたものなのか、それとも新メンバーの個性を見てそうしたのか、とにかく路線を変更したグループは若さ・ガーリーさを前面に押し出し、「カッコイイ」ではなく「カワイイ」を重視するようになったのです。
それがいかなるものであったかは、一連のプロモーションに使われた曲のタイトルである「Pretty Girl」から見て取れます。
これは女性層に受け、遅れを取り戻すかのように、KARAはメディアをにぎわせました。
しかしながら、これは08年末のことで、前年すでに持ち歌のダンスが社会現象(Tell Meシンドローム)を巻き起こしていたワンダーガールズと比べると、一段下がったところにいる存在でしかありませんでした。
これは端的にいって、男性層の獲得に失敗していたからで、同期(デビューがひと月ちがい)のワンダーガールズのブームは男女を問わず”(ダンスを)躍らせた”ことにありました。
この状況を打ち破ったのが、09年の「Honey」でした。
2年間の集大成としての「Honey」
この曲はもともと2ndミニアルバムに収録されていたもので、アレンジを変えて同盤のスペシャルエディションとしてリリースし、テレビで楽曲披露をしたところ、大ブレイクしました。
衣装はベビードールっぽく、ハロプロでいうとモーニング娘。の「涙が止まらない放課後」のようなものを、もっとコンサバに仕上げた感じでした。
ノースリーブにナマ足、スカートの丈もひざ上20センチ以上といったふうに、露出が皆無だった「Break It」は言うに及ばず、路線変更後にリリースした「Pretty Girl」や「Rock U」よりもセクシーなものでした。
後者のガーリー路線でも露出はありますが、半そでのカットソーにショートパンツといった出で立ちで、日本流にいえば「NICOLA」や「ピチレモン」といった、小中学校に通う二次性徴前の少女が好むようなものでした。
よって「Honey」には相対的、あるいは絶対的に性のにおいがします。
この曲で彼女らは日本のオリコンに相当する「M countdown」という番組ではじめてのNo.1を獲得し、男性層の獲得に成功したことが伺えます。
これは07年03月のデビューからちょうど2年が過ぎた09年03月のことで、ついにKARAは韓国ミュージックシーンのトップに躍り出たのです。
このあとKARAは一層活動を本格化し、日本でのデビューへ向けて動いていくのですが、長くなるので次のエントリに譲ります。