今回の党首討論について――なぜ日本は「洗濯」できないか
参加者(党首)が9人も並んでいて、日本では二大政党制なんて夢のまた夢だなと思いました。
イギリスやアメリカに見られる二大政党制というのは、「一神教とそのアンチテーゼ」という宗教的な意味があるわけですが、9党というのは「わが国がアニミズムの国である」という証拠です。
政教分離ができている国なんてどこにも存在しませんから、「政教分離の失敗」、すなわち「宗教のテーマ」と「政治のテーマ」が結びつくことは、「アニミズム(多神教)という神さまの多様性」が「政治のテーマの多様性」を意味することを表している。
「アニミズムの国」は「政治的テーマを絞れない国」なのです。
この「優柔不断さ」は「国民のもの」ですが、むろん「政治家」にも影響を与えますから、彼ら日本の議員たちは「政治的テーマが絞れない」→「まともなマニフェストが書けない」ということになる。
「政治家がだらしない・はっきりしない・計画性がない」のは「国民のせい」だという話なのですが、こうした構造に気づけない国民は「政治家=自分の影」だと気づかず、ただ「政治家の悪口だけ言っていればいい」と思ってしまう。
結果、かかる議論がぼやけて「テーマが焦点化できない(絞れない)」という悪循環に陥っていく(いる)というわけです。
まとめとして、表にしておきました。
宗教 | 政治 | 文化(政治・宗教)的テーマの数 | 議論のありかた |
一神教 | 二大政党制 | 2つ(焦点化され1つに絞られたもの、中心的なもの1つ+アンチテーゼ1つ) | アメリカ式(論証と反証がデッドヒートをくり広げる) |
多神教 | 多数政党制 | 複数(中心がないのでアンチテーゼもなにもない) | 日本式(直接的にも間接的にも意思決定が行えない。運を天に任せるor空気を読むことしかできない) |
よく「政治を正す」とか「日本を洗濯するぜよ」とか言いますが、このような土台を理解していない限り、直るものも直らなくなってしまいます。