萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

IQが高い(論理的)なやつほど感情的になったら危険――「カンブリア宮殿」に学ぶ

 2010年06月21日の「カンブリア宮殿」(TX)を見ました。

 ゲストは「バスクリン」でお馴染みの株式会社、ツムラの社長・芳井順一。

 この会社は漢方の開発・販売もやっていて、彼は大赤字に落ち込んだ会社を立て直すために、西洋医学の開発を切り捨てて、漢方に特化するという戦略を打ち出して、大成功を収めました。

 番組では、当時のエピソードがいくつか紹介されたのですが、その中の1つが印象的でした。

 ツムラの「(西洋医学の)新薬開発チーム」は、芳井が「漢方オンリーへとシフトチェンジする」と告げたとき、漢方だというだけで反発したというのです。

 芳井は「漢方薬も西洋医薬も同じで、開発し、効果を科学的に証明していくものだから、君たちの力が必要なのだ」と訴えたそうですが、これは当たり前のことでしょう。

 そんなベーシックな理解を忘れてしまうぐらい、開発者たちは無根拠な思い込み(「自分が開発するものは西洋医薬でなければならない」)に取り憑かれていたのです。

 結果、ツムラは人員削減などかなり痛みを伴った改革を要したのですが、ここから分かることが1つあります。

 人間というのは誰もが思い込みを持ってしまうものですが、それに「どれだけハマってしまうか(悪影響が出るか)」には個人差があります。

 「IQが高いやつら」は、「この俺(IQの高い俺様)がそんなことするはずがない。俺の信念には、ちゃんと科学的な根拠があるのだ」と「何の根拠もなく」思ってしまうことがあり、そのとき「IQの高さ分のプライド」が仇となることで、「IQが低いやつよりも深く溝にハマってしまう」のだということです。

 「研究開発の題材に洋の東西は関係ない」

 このテーゼは「研究者でないひと」には関係のないことですから、一般化に適さないもののように思えますが、「ベーシックな理解を忘れてしまうことの愚かさ」という意味で、そこには職業の差など関係ありません。

 むしろ「扱っているものの社会的な重大さ」からすれば、(たとえば「『うまい棒』の新味開発」と「それ」とではまったく比較にならないように)「生命に触れる医薬品研究におけるベースの忘却」のほうが、それ以外の大抵のことよりも「罪が重い」ことが分かるわけです。

 有名な例を挙げれば、「ダイナマイト」のケースがあります。

 18世紀の炭鉱労働においては、採掘のために吸い込んだ鉄粉などによって肺をやられ、従事者が死んでしまうといったケースが多発していたのですが、これを改善しようと立ち上がった1人の科学者がいました。

 彼は「鉄粉を吸い込まずにおく」には、「その場から離れればいい」と気づき、「導火線つき(リモートコントロールが可能な)爆薬」を開発しました。

 これが「ダイナマイト」です。

 しかし、この「炭鉱労働者の命を救うために作られた道具」は、その後、あまりの破壊力のため、「第一次世界大戦を生む原因の1つ」になってしまいました。

 開発者は後に、それを売った莫大な資金でファウンデーション基金)を設立し、人類の平和のために役立てて欲しいと言い残して死んでいきました。

 彼の名を「ノーベル」と言います。

 「IQが高いやつら」というのは、彼と同じ轍を踏む可能性があるのであり、それは「この頭のいい自分が感情的になるはずがないという思い込み」から起こるのだということです。

 ソクラテスの言った「無知の知(「外部の知識を求めることより、内なる知(自分の愚かさ)を知ることのほうが大切だ」という教え)」は、こういうときにこそ大切なのであり、彼らはそれを(たとえ一時にせよ)忘れていたのです。