萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

ワールドカップの名シーンが「失敗のシーン」ばかりなわけ

 ロベルト・バッジョというイタリアの名選手がいます。

 彼の行ったプレーのうち「もっとも有名なもの」といえば、「94年のワールドカップ決勝でのPKの失敗」でしょう。

 「ワールドカップ」と「失敗」といえば「ジダン」にもあって、「06年の決勝での頭突き→レッドカード(退場)」なんて具合に、それはまぁ悲惨だったわけですが、このようにワールドカップなどの大きな大会では、なぜか「名シーン」として挙げられるものはみな「失敗のシーン」なのですね。

 これにはちゃんとした理由があります。

そもそもサッカーとは地味なもの

 こちらは日常の試合ですが、ニュース番組などで特集される「今週のハイライト(名シーン特集)」は大抵ゴールシーンですよね。

 しかもファンタジスタが活躍するシーンです。

 「角度のないところからシュートを決めた」とか、「一人で何人もディフェンスを抜き去った」とか、そんなのばかり。

 しかし「ファンタジスタが活躍する」ということは「作戦がうまくいっていない証拠」であり、チームが機能していれば「無理な体勢からのシュート」など要らないわけです。

 サッカーのシステムが目指すものは「ゴールすること(勝つこと)」ですが、その1つ手前の状態は「ボールをフリーで持って、安定した体勢からゴールに向けて蹴り込む」です。

 具体的には、「ボールをもったフォワードの前にゴールがあって、キーパーもディフェンスもいない(=軽く蹴るだけで入る)」ということ。

 よって作戦がうまくいっているとき、「ファンタジスタが目立つシーン」など要らないのですね。

 ただ、この場合(作戦が完璧に機能している場合)、結果としてチームは勝てるのですが、代償は大きく、地味な試合になってしまう。

「サッカー好き」と「サッカー選手好き」

 「ファンタジスタが活躍しない地味な試合」は、「戦術のおもしろさを理解できる通なファン」にとっては語り草ですが、そういう「サッカー好き」ではなくて、ただの「サッカー選手好き」でしかない大抵の視聴者・観客の記憶には、残らないのですよ。

 逆にいうと、負けたチームは作戦が機能せず、ファンタジスタに託すしかないわけですが、彼ら飛びぬけた技術を持った選手だって、チームが機能していなければ「お膳立て」がうまく行かないわけですから、プレーの精度は下がります。

 そんなとき「彼らのシュートが外れる」ことは目に見えていますが、そういうシーンや、あまつさえ失敗続きでイラっとしてしまい、退場を食らったとか、そんなネガティブなシーンばかりが連続して起こる。

 また、それはファンタジスタの行動なので見るものの記憶に残り易くなっている。

 この点から、そもそもサッカーというのは「失敗ばかり印象に残り易い」スポーツだと言えるのです。

問題は、ワールドカップの規模である

 もっとも、それはスポーツ全般にいえることで、バスケも卓球も変わりません。

 大事なのはワールドカップという、それが世界最大のスポーツの祭典であるという点にあり、これは「普段はサッカーを見ないひと」が大挙して「サッカー言論」のなかに押し寄せてくる事態なわけです。

 結果として「全体における通の割合」、つまり「作戦が機能しているために地味になってしまった試合を、ちゃんと楽しめるファンの割合」を減らしてしまうので、ワールドカップはふつうの試合・大会より、加えてほかのスポーツのどの大会よりも「失敗シーン」が名シーン扱いされやすいというわけです。

 (※サッカーワールドカップのテレビ視聴者は、なんとオリンピックの10倍もいます)