「やりすぎコージー」にみるiPhone(iPad)の存在感
以前、どこかのエントリで、「使ってるPCがショボすぎてYouTubeが見られない」と言いましたが、じつはTwitterさえ使えないんですよ。
「漫画」とか一般的なワード、つまりヒット数が多そうなもので検索すると、フリーズしてしまうというかなり悲惨な状況でして、完全に時代から取り残されてるわけです。
だから以下の文章は、筆者の”ツール弱者”っぷりからくるひがみだと思って聞き流してください。
iPhoneの多機能はコミュニケーションを促進させる?
2010年05月31日放送の「やりすぎコージー」(TX)は、『携帯がここまで進化!iPhoneバカ』と銘打って、iPhoneを使ってる芸能人を何人か集めて、彼らにそのすごさを語らせていました。
当然、お笑い番組ですから、iPhoneを知らないひとにも分かりやすく、それでいて面白おかしく紹介するわけです。
メッセージとしては、「あなたも使ってみませんか?コミュニケーション・ツールとして便利ですよ」といったところでしょうか。
しかし、まぁ、どれも要らないと言えば、要らないものなわけです。
これは「使えない」ということではなく、また「使いたくない」ということでもなく、「使いたいのに使えない」と言いましょうか、少しややこしいものなのです。
例えば「東野幸治のお気に入り」として紹介された『Lightsaber Unleashed』というアプリは、iPhoneを振るとスターウォーズに出てくるライトセーバーの音響がするというもので、実際にやってみせた東野に、会場は大ウケします。
「これやると(プライベートで)めっちゃウケんねん」と、満面の笑みの東野。
しかし、その後、千原ジュニアが言った「テレビでやる事ではない」というツッコミが気になります。
これは「テレビという、時間も金もかけて作ってる場所で披露するにはショボすぎるやろ」という意味で、逆にいえば、「その『場違い感』が笑いどころなんですよ」という「説明」でもあるわけです。
これはくり返すように、「テレビ」という「非日常ありき」での話ですから、「プライベートでウケる」という東野のことばも鵜呑みには出来ません。
東野幸治という超有名芸人が、ほとんど下ネタにも近いお手軽な笑いに走ったという、お笑い業界内の政治的なリテラシーありきでの笑いなのではないかと思うのです。
つまり一般人が日常でやって本当にウケるのか?と。
まぁ、iPhoneを持っていないし、友達もいないような筆者には確かめようがないことなのですがw
Google的職場は健全?
また同番組をはじめ芸人たちは、命がけで笑いを取りに行っているわけで、カメラの前でどんなにふざけた顔をしていても、舞台裏では真剣なわけです。*1
その一方で、「(iPhoneやiPad、Twitterなど)革命的なツールがコミュニケーションの形を変える」のような煽りをするメーカー側や、エレクトロニクス・流通の専門家であるジャーナリスト、それに便乗したアルファブロガーたちのマジメ顔は表面的なもので、じつは裏ではチャラチャラしていそうな気がします。
もちろん、これも確かめようがないのですが、「あれもできる、これもできる」とやって具体的なイメージまで提出しながらコケていったPS3をはじめとする、これまでの家庭用ゲームハードや、結局つかわれなかったブラックベリーなどを見ていると、Google的な「遊びが仕事に」的なノリというのは、どうにも胡散臭さが拭えません。
たかだが、「俺iPhone持ってるんだ」「へー見せて見せて」という、「『それがコミュニケーションツールであること』からくるコミュニケーションの発生」という、些細な効果しか生まれないように思うのです。*2
そうだとしたら、不景気だ何だといいながら、そんなムダなものが売れるのだから、世論は当てにならないなという話でして、ここまでくると話が脱線してきたので終わりにしましょうか。
ただアップルという会社はニッチ産業の天才なので、採算が取れる程度には売れると思います。