萌え豚っていうな!

萌えヲタのことを萌え豚となんの根拠もなく言うのを止めさせることを目的としたブログ。自分で言うことも含む。

アイドルとはなにか?

 一般にハロー!プロジェクトはアイドルの集団とされますから、まずはこの点を明らかにしておかなければならないでしょう。

 筆者によると、それは”何もできない代わりに何でもやる”、と定義される存在です。

 証拠としては、しばしばアイドルの源流とされる美空ひばりが、当時のメディア(テレビ・ラジオ・映画・戦時中ゆえに行われた、出兵に際する壮行会での歌披露など)で網羅的に活躍していたということが挙げられます。

 いずれのメディアにも先駆者・専門家はいました。

 例えば、次の事実。

 美空ひばり(本名:加藤和枝)は1937年の生まれで、日本初のトーキー映画は6年前の31年(「マダムと女房」主演・田中絹代 松竹キネマ)に公開されています。

 加えて、wikipediaの「トーキー」の項目によると、こうあります。

  (トーキーの到来によって)映画スターたちには、次のような効果が見られた。

  ・田中絹代は、下関訛りの甘ったるい声が好評となり、その庶民的な可憐さとあわせてますます人気が沸騰した。

  ・入江たか子は、華族的な話し方が庶民の反発を招いたといわれ、やがて人気低下につながったと言われる。

  ・阪東妻三郎も人気が低迷し、自身のその甲高い声が原因かと悩んだという。

 それ以前の無声映画サウンドトラックが付いていないもの)の時代と比べて、大きくタレントのあり方が変わったことが分かります。(「MTVの登場でラジオスターに仕事がなくなる(video killed the radio star)」と歌ったUKのバンド・バグルスの「ラジオスターの悲劇」(1979年)のようなもので、メディアが代わればスターも代わるのです)

 ひばりは特に声が美しかったという評判を得ていませんから、彼女がトーキー映画で売れた理由は複雑なものだったということがわかります。

 このように起きた世代交代は、おそらく全てのメディアで見られたことでしょう。ひばりは、そのすべてに絡み、その全てで成功してみせた。

 あるいは見た目なら、こいつの方が美しいじゃないか、歌だけならもっとうまいのがいる。そうして批判されることもあったでしょう。

 しかし、だからこそ、新しいメディアに果敢に、ときに敗走しながら越境していく、それがアイドルの本分であると筆者は考えるわけです。

 こうしたメディア的な状況(どのメディアで活躍するか)は、テレビが主流の時代になっていくと、どの番組で活躍するかといった問題に置き換わっていきますから、やはりアイドルの定義が”越境”を鍵としていることが分かります。

 これは主に90年代以降の問題ですが、”いかなる番組へ出演することが越境となるのか”など、論じると長大になりすぎてしまうので、ここでは割愛することにします。

 では、応用編として、次のような設問を立ててみましょう。

ハロプロPerfume、どちらがアイドルとしてより正しいか?


 答えは、ハロプロです。

 ”アイドルは新メディアへ越境する”――さきほど、筆者はそう言いましたから、”アイドルとしてのハロプロ”の優勢を示すために、ここでは、ハロが新メディア(ネット)側、Perfumeが旧メディア(テレビ)側に属している、そのことを示せばいいわけですね。

 テレビ番組で比較します。

 Perfume冠番組に「Perfume気になる子ちゃん」(NTV)というのがあります。

 これはメンバーやゲスト、視聴者が疑問に思ったことを番組が調べ上げ、発表していくというスタイルを取っていますが、その答えは番組のHPにまで掲載されています。

 一方、ハロプロメンバーが多く出演する「よろセン!」(TX)は、メンバーが扮する学校のセンセイが、生徒役の他メンバーに授業をするという内容になっていて、「気になる〜」と同様、情報を提示する番組ですが、こちらは答えなんかどうでもいいものとして扱われています。

 実際、番組内では、授業の内容をちゃんと覚えているかどうかテストをすることがあるのですが、℃‐ute中島早貴の回などは、”コロンブスが何をしたひとか”といったことを教えておきながら、そういった暗記モノを排除して、彼のモノマネがうまくできれば合格なんていう具合でした。

 テレビとネットには、一方がただ見るだけ、もう一方は自分で調べなければいけないという性質のちがいがありますから、ここからPerfumeヲタよりもハロヲタのほうが自発的に調べ物をしようという気概があるといえます。

 よってPerfume=テレビ型アイドル、ハロ=ネット型アイドルと比較でき、”Perfumeよりハロのほうがアイドルとして正しい”といえるのです。